Twitterで「馬場さん」トレンド入り!逝去から早24年、今も愛される“東洋の巨人”

ジャイアント馬場さんが逝去してから早24年が経過した。

ご逝去された日が1月31日の出来事であったが、2023年1月31日現在でもTwitterで「馬場さん」がトレンド入りしている。

※Twitter(スポーツ · トレンド 馬場さん 2,163件のツイート)2023年1月31日17:30現在

24年が経過した今でもジャイアント馬場さんの偉大な足跡はファンや関係者の心に残り続けている。

ジャイアント馬場さんは1960年代にプロレスのキャリアを開始し、すぐに日本で有名になり、その時代のトップスターの 1 人になった。

当時、世界最高峰のNWA世界へビー級王座をはじめ多数の王座獲得歴があり、その時代の最も偉大なレスラーの 1 人として広く認められていた。

またリング内での実績に加えて、馬場さんはプロモーターでもあり、全日本プロレスを日本でトップのプロレス団体の 1 つとして確立する上で重要な役割を果たした。

馬場さんが日本のプロレスとその文化に与えた影響は計り知れず、今もレジェンドレスラーや関係者からも業界の伝説として広く語り継がれている。

ジャイアント馬場記念館の公式Twitterでは「【あの日の馬場さん=1999年1月31日】午後4時4分、かねてより入院中だった東京医大病院で上行結腸ガンによる肝不全のため永眠。享年61。その事実は当初、馬場夫人・元子さんの意向で伏せられたが、翌1日に緊急記者会見が開かれ公となり、日本全国に衝撃が走った。」とツイート。

▼選手やファンのSNS上でのコメントを紹介(一部抜粋)

川田利明「馬場さんは幅広く器用でした」

橋誠(元プロレスラー)「今日は馬場さんの命日。(1999年1月31日) 早いもので、あれからもう24年が経ちます。僕が入門したのは1997年で、旗揚げ25周年の時でした。思えば凄い時代にいたんだなと思います。」

「馬場さんは阪神大震災があった時に被災地のファンクラブ会員たちの家に食料品、生活用品を供給する等、ファンを大切に思う心の広さは本当に素晴らしい人間でした。」

「馬場全日、四天王プロレスを見てきた者として、馬場さんは神様みたいな存在。」

「今でこそ高度でスピーディーば技と受身の応酬がスタンダードになっている中で馬場さんのスケールのでかいプロレスは新鮮だった。」

「当時はいつも売店に座られている馬場さんにグッズをスタッフが丁重に渡してサインする姿が本当に印象的でした…」

馬場さんにも明るく楽しく激しいプロレスでたくさん感動をもらったなー。バトルロイヤルとかよくやったもんだ。アンドレとタッグを組んだ時の巨人ぶりは今でも忘れられない。」

「自分がプロレスを見始めたころ、すでに馬場さんはピークを過ぎていたのでしょうがその存在感は圧倒的でした。」

「若い頃、1度だけ生で見た馬場さんは本当に大きくて、優しいオーラがある人だった。」

「全日50周年経ちました運営会社は違えどネームバリューは保っております。今頃天国で猪木さんとBI砲復活してるかな」


※馬場さんと同じ時代を生きた全日本プロレスOB選手

そして4年前に「ジャイアント馬場展」、3年前に「全日本プロレスオールスター展」の会場となった東急百貨店本店が1月31日をもって閉店となる。

この東急百貨店本店もその歴史に幕を閉じ、新たに高層ビルが建つという。

コロナ禍で苦境にあえいだスポーツビジネス界、ジャイアント馬場さんが設立した全日本プロレスも同じく集客面では苦戦していた。

こんな時、馬場さんが生きていたらどうやって切り抜けるのだろうか?

ファンを大事にしていた馬場さんは震災で被害にあった方々に支援物資を届けに行ったり、震災に遭われた方を勇気づけるべくプロレス大会を開催した事もあった。

運営会社も変わった全日本プロレスを、今でも支えるファンは数多くいる。

現三冠王者の宮原健斗をはじめ、諏訪魔を筆頭とする日本人大型ファイターが集結している全日本プロレス。


※三冠ヘビー級王者:宮原健斗


※諏訪魔

ジャイアント馬場さんが築いたスケールの大きなプロレスは今も脈々と現在の全日本プロレスに受け継がれている。


※新日本プロレス永田裕志を相手に日本武道館でのデビュー戦を行った安齊勇馬

多数の選手の離脱もあったが、安齊勇馬を始め新たな選手も育ち始めた。

ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さん、三沢光晴さんらが残してきた偉大な足跡を引き継ぐ新時代の全日本プロレス、これからも更に「明るく楽しく激しいプロレス」に期待したい。

<プロレスTODAY総監督:山口義徳>

※写真提供:伊藤ミチタカ氏

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