【猪木さんお別れの会】猪木寛至の”至”をもらっている棚橋弘至「うちの父ちゃん、グッジョブですよ。名付けの名手と呼ばしてもらいたい」

3月7日(火)東京・両国国技館にて昨年10月1日に死去した「アントニオ猪木 お別れの会」が行われ、発起人の方々、各団体選手、そして多数のファンが第1部の式典に参加した。

式典では坂口征二相談役が挨拶、「炎のファイター」が流れ、「追悼の10カウントゴング」、アントニオ猪木ヒストリーVTRの上映。そして、参列者の挨拶、来場者全員での「1、2、3、ダー!」が行われた。


©新日本プロレス

式典終了後にはお別れの言葉を述べた新日本プロレスの棚橋弘至が囲み取材に応じた。

ーーお別れの会を終えてみて

「弔辞を読ませてもらう意味っていうのをよく考えてまして、前日からね。色んな選手、関係者がいる中で、なぜ僕なのかっていうところで。それだったらば選手代表というか、会場に来てくれている猪木ファン、猪木さんのファン、猪木さんに元気をもらったみんなの代表としての感謝の気持ちを述べれたらいいなっていうのがあって。猪木さんの凄いところっていうのはデビューしてからしか僕は知らないですけども。猪木寛至の、アントニオ猪木のどの部分を切っても、常に元気というか。全盛期は27歳前後と言われてますけども。日プロ時代、新日本プロレス時代、IGFもあって。晩年ご病気された時もやっぱりこう猪木さんから常に発してくれているエネルギーをみんなもらって、頑張れた部分もあったと思うんで。ホントに、偉大過ぎて追いかけるのが嫌になるぐらいの人ですね」

ーーこれだけ大きなお別れ会というのもないと思いますけれども

「そうですね。やっぱり、日本全国、今日来れなかった方も、猪木さんに対しての感謝の気持ちというのはあると思うんですね。いやー、僕なんかが弔辞を読ませてもらったのも、ホントにおこがましいと思ったんですが。いやでも、思いの丈を伝えることができて良かったです」

ーー名前は猪木さんから一字いただいていたと?

「そうなんですよ。皆さん、僕もあんまり言ってないですけど、ちょこちょこしか言ってないですけど、棚橋弘至の”弘”は一文字でひろしって読めるんですけど、あえて止め字で”至”という字が”猪木寛至”の”至”と一緒で、うちの父が猪木さんのファンだったということで、一字いただいたんですけど。息子はまんまとレスラーになってますんで(笑)導かれるようにしてね」

ーーそれはお父さんから子供の頃に聞かされていたんですか?

「全然知らなくて。大人になってからですね。『猪木さんの字と一緒なんだけど』って言ったら、『実は昔ファンでね』って」

ーー全然知らなくて、プロレスラーになってから知ったと

「そうですね。プロレスラーになってからですね。いやあ、うちの父ちゃん、グッジョブですよ。名付けの名手と呼ばしてもらいたい」

ーーそれを聞いてから背負う部分とかは?

「いやもうね、これから猪木さんの猪木寛至でしょ?棚橋弘至でしょ?名前に”至”っていう字が入ってる人が、第3の”至”が出てくるかもしれない(笑)」

ーー棚橋ファンのお父さんが名前を付けて、その子供がプロレスラーになってっていう。

「そうですね。猪木さんの字じゃなくて、棚橋弘至の”至”が受け継がれていく。それはドラマチックですね。でも、それだと猪木さんが薄れちゃうんで」

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