【訃報】「いぶし銀」と称された木戸修さん、73歳で死去

新日本プロレス旗揚げメンバーであり、第1次UWFでもその実力をいかんなく発揮した元プロレスラーの木戸修(73歳)さんの訃報が届いた。

木戸さんがかつて在籍した新日本プロレスが公式HPにて発表。

「新日本プロレスで活躍した木戸修さんが令和5年12月11日(月)午後10時頃、息を引き取り、永眠致しました。
新日本プロレスでは、ご遺族の意向に沿い、葬儀後に皆様へのご報告を予定しておりましたが、SNS等で情報が広まっておりましたため、予定から前倒す形でのお知らせとなりました。
通夜並びに葬儀につきましては、ご遺族のご意向により、近親者のみにて執り行う予定です。」

木戸さんは神奈川県川崎市出身、「いぶし銀」のプロレスラーと呼ばれ、長女にプロゴルファーの木戸愛さんがいる。

1969年2月21日に日本プロレスでプロレスデビューし、後にアントニオ猪木さんが旗揚げした新日本プロレス創設メンバーとして参加。

海外遠征時には、カール・ゴッチ氏に師事しレスリング技術を習得。

卓越したグラウンドテクニックと関節技を披露し、ゴッチ氏から「マイ・サン(息子)」と呼ばれるほどの技術を身につけた。

新日本プロレスでキャリアを積み重ねた後は第1次UWFにも参加し、1985年に開催された『格闘技ロード公式リーグ戦』では見事優勝を果たし、その実力を発揮。

その後、新日本プロレスに復帰後の1986年8月には前田日明とのタッグでIWGPタッグ王座を戴冠を果たした。

また新日本プロレスと全日本プロレスの「ベルリンの壁」が崩壊した1990年2月10日。

歴史的な1夜となった東京ドーム大会では、木村健悟とのタッグでジャンボ鶴田&谷津嘉章組と対戦し、互角の戦いを見せた木戸さんの存在が改めてクローズアップされた。

得意技の脇固めやキド・クラッチが繰り出されるとファンが沸き、その高い技術力、リング上での仕事師としてのふるまいから「いぶし銀」と称されたレスラーであった。

寡黙な人柄で引退後は人前に顔を出すことがなかった木戸さんであったが、アントニオ猪木さんのプロレスラー生活60周年記念メモリアル大会となった2020年2月28日のプロレスリング・マスターズ後楽園ホールのリング上で猪木さんに挨拶、これが最後の表舞台になった。

木戸さんの訃報を受けて多くのレスラー・関係者らがX(旧Twitter)にてポストしている。

▼武藤敬司氏
「木戸修さんがお亡くなりになった。2020年2月、最後のプロレスリングマスターズに参加して頂いたことが想い出になってしまいました。心よりご冥福をお祈りいたします。」

▼小島聡
「「あの時代の人」なんだけど、あの時代の人によくあった人間離れした感じはなくて、とにかく真面目で冷静で優しい印象が強かった木戸修さん。私が新日本を一度退団した後、若手選手のコーチをされていたと聞いています。90年代後半には良く試合して頂きました。ご冥福をお祈り致します。」

▼田中ケロリングアナ
「木戸修さん。若い頃、巡業中、旅館で同部屋が何度かありました。布団にシワひとつあってもダメ。荷物整理もちゃんとして、決まった物は決まった所に置く。髪型と一緒できちっとした方でした。ご冥福をお祈りいたします。元新日本プロレス 木戸修さん死去 2023年12月14日」

他にも多くのレスラーや関係者、ファンの皆が木戸さんの訃報についてSNS上で心情を綴っている。

卓越した技術でファンを魅了した「いぶし銀」レスラー、木戸修さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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