【新日本】オカダがブライアンとの遺恨対決に勝利「あの歓声に今日は凄い救われたような気がしました」

新日本プロレスは1月4日(木)、東京ドームにて『ベルク Presents WRESTLE KINGDOM 18 in 東京ドーム』を開催した。

『ベルク Presents WRESTLE KINGDOM 18 in 東京ドーム』
日時:2024年1月4日(木) 14:45開場 16:30開始
会場:東京・東京ドーム
観衆:27,422人

セミファイナルではオカダ・カズチカとブライアン・ダニエルソンのスペシャルシングルマッチが行われた。

両者は昨年6月に新日本プロレスとAEWの合同興行のメインで一騎打ちを行い、ブライアンの変型リバースダブルアームバーでオカダがギブアップで負けており、10月のAEWで行われたタッグの再戦ではブライアンが目を負傷した経緯があった。

体格差はあるもののその存在感やねちっこいグランドレスリングでブライアンはオカダの右腕に集中攻撃をかけ追い詰める。

必死に反撃を試みるオカダであったが、右腕の攻撃により随所で手を当てるしぐさを見せる。

ブライアンはなおもオカダへ非常なリストロック式の顔面踏みつけ。

何とかピンチをしのいだオカダは猛反撃を開始し、ジャーマンスープレックスを一閃。

終盤まで何度も攻守が入れ替わる展開が続くが、最後はオカダが意地を発揮し、肩に担ぎ上げたブライアンをマットに叩きつけ、最後はレインメーカーでついに遺恨対決に終止符を打った。

<試合結果>

▼セミファイナル(第9試合) 60分1本勝負
スペシャルシングルマッチ
オカダ・カズチカ 〇
vs
ブライアン・ダニエルソン ×
23分24秒  レインメーカー→体固め

最後はオカダがブライアンに座礼すると、ブライアンもそれに応えた。

■試合後バックステージコメント

オカダ「まあ、こうやってとりあえず一つ貸しを返しただけなので、これで終わるようなそんな寂しいプロレス界ではないと思いますんで、また何回もやってほしいなと思いますし、AEWでもやったし、新日本のリングでもやったし、どこでも胸を張れるカードだと思いますんで。本当に2024年一発目、素晴らしい闘いができたと思いますし、当たり前なんですけども、当たり前じゃないあの歓声に今日は凄い救われたような気がしました。本当にまたギブをしてもおかしくないようなサブミッションでしたし、歓声が凄い届いたんで最高でした。またいいスタートを切れましたんで、またプロレス界が盛り上がるように、2024年もしっかりやっていきたいと思います。ありがとうございました」

ブライアン「(※左目を冷やしながら)自分自身が臨んでいた結果ではないとはいえ、負けたけれども凄く自分にとってはいい気分だ。ここ13年間、求めていた物がここにあったと思う。オカダ・カズチカのような素晴らしい選手と、ここトーキョー・ドームで闘えること。プロレスの最高の部分が今日は見えたと思う。もちろん勝敗は大事だけれども、それ以外にリングに上がると自分自身の事を学ぶことになり、と同時に相手のことをよく知ることができる。前回の試合ではオカダがタップアウトしてしまったので、自分自身はあまり納得がいっていない試合内容だった。しかし、オカダは『G1』を控えているなどいろいろあったので、致し方なかったのかなとも思う。オカダがタップアウトしたのは、2015年のシンスケ・ナカムラとの試合以来だったということを考えると、それも特別だったのかもしれない。でも、今日のオカダは100%燃え盛る炎のような状態で、自分と一緒にリングに上がってくれた。自分が求めていたオカダが目の前に立っていて、凄く嬉しかった。最高の自分、そして最高の誰か、そしてこの素晴らしい特別な場所で、特別な選手とリングで自分自身が交わった時、それこそが最高の時なんだと思う。なので、今回はここに自分の試合を組んでいただいたことに感謝したいと思う。自分の目も痛いし、体もやられてしていまっているけれども、今最高の時だった」

──前回、新日本に参戦した2004年から約20年経っているが、現在との違いは?

ブライアン「今の新日本とは違う面白い時代だったなと思う。もちろん猪木イズムもしっかりあって、勝負も素晴らしく、当時はバス・ルッテンやボブ・サップなんかと一緒に巡業を回っていたので、今とは全く違う雰囲気だった。それからその後も新日本プロレスのことはずっと見てきて、タナハシやオカダ、そしてその他の素晴らしいメインイベンターたちがこの団体をしっかり成長させていったところは、とても素晴らしいことだと思う」

──あなたにとっての新日本プロレスとは?

ブライアン「一言で言うのは難しい。新日本プロレスっていうのは、今も目を閉じて考えると夢のようなんだ。プロレスを始めた時に自分が行きたいと思っていた夢の場所であり、自分のヒーローたちの住まう場所。アメリカやカナダのプロレスラーたちは、ここで育ち、そしてここから旅立ってトップになっていったんだ。自分自身ももちろんここで学び、そして日本で長い間プロレスをしたいと思っていた。当時はそういう結果にはならなかったけれども、今またここに戻ってこられたというのは、何か夢を叶えたような、また夢の中にいるような気持ちだ」

<写真提供:新日本プロレス>

◆プロレスTODAY(LINEで友達追加)
友だち追加