新日本プロレスを退団するオカダ・カズチカ 米国進出を見据えていた若き日のレインメーカー

【柴田惣一のプロレス現在過去未来】

新日本プロレスを退団し、海外マットに新たな一歩を踏み出す “レインメーカー” オカダ・カズチカ。2012年1・4東京ドーム大会で凱旋帰国マッチに臨んで以来、プロレス大賞MVPを5回獲得するなど、新日本プロレスすなわち日本プロレス界をけん引し続けてきた男の「サヨナラ」は、日本だけでなく世界中のプロレスファンに衝撃を与えている。

15歳で闘龍門に入門しメキシコでデビュー後、07年に新日本プロレス入り。すでにキャリアを積んでいるにも関わらず、他の新弟子と同じように再スタートしている。汗をかきかき雑用をこなしていたが、190センチを超える長身に50メートルを5秒台で走る運動能力で、将来を期待されていた。 “新日本の頭脳” 外道が「一目見て、彼しかいない。彼こそ未来のエース、と思った」と振り返っている。

10年1月、米国武者修行に出発する壮行試合の相手は棚橋弘至だった。思えば「エースのバトンパス」はこの時から運命付けられていたのだ。

12年1・4東京ドーム大会で、YOSHI-HASHIとの両者凱旋帰国マッチに勝利したオカダは、同大会のメインイベントでIWGPヘビー級王座V11を果たした棚橋にかみついた。

「お疲れ様でした。これからはレインメーカーが新日本プロレスを引っ張って行きますんで」とアピールしたが、会場にはブーイングが渦巻いた。

この時点では、やたら強気な若者でしかなかったが、たった1か月後には、空気を一変させている。12年2月12日、大阪大会で棚橋に挑戦したオカダは、大方の予想を覆しIWGP王座を奪い取ってみせた。両手を大きく広げるレインメーカー・ポーズのオカダを喝采が包み込んだ。

「君は本物だったね」と後日、声をかけると何とも嬉しそうにうなずいてくれた。酒席で乾杯の音頭をお願いすると当時の決め台詞「特にありません」を披露し、一瞬にして全員の視線を集中させた。若き王者はすでにスターのオーラを身につけていた。

その後の大活躍は「日本の顔」に相応しいモノだった。スケールが大きい上にスピードもある。スーパーヘビー級戦士がジュニア戦士に負けない空中弾をこともなげにやってのける。棚橋は元より中邑真輔、内藤哲也など新日本プロレスを支える選手との攻防、外国人選手にも体でもパワーでも互角以上に渡り合うファイトは、安定感に加えて意外性にも富んでいた。

今年の1・4東京ドーム大会のブライアン・ダニエルソン戦のようにじっくりと攻め合うトラディショナルな闘い方も得意としている。とにかく幅が広く、どんなタイプの選手とも好ファイトを展開できるのがオカダだろう。

プロレスをメジャースポーツにしたい。力道山、馬場・猪木を国民のほとんどが知っていた時代に戻したい…オカダの思いではないか。

米国マットで大暴れし、みんなの目をプロレスに向かせたい。メジャーリーグの大谷翔平に負けない実績をあげ、人気を集める。レインメーカーならできる。

トップ戦線に駆け上がった頃「今までいろいろなところに行ったけど、アメリカは広くていい。特にフロリダが一番良かったですね」と話してくれた。「将来的にはアメリカ?」と聞くと「いや~まあ、まだまだ先の話ですから何とも」と笑顔を見せたが、その頃から青写真を描いていたのかも知れない。

棚橋と2・11大阪大会でシングル対決も決まった。この2人の物語は大阪で始まり、12年後、同じく大阪で完結する。新社長に就任した棚橋と、旅立つオカダ。2人の12年の想いが交錯するメモリアルな一戦となるだろう。

地元・愛知県のファンに別れの挨拶もすませた。日本から去るのは寂しいと嘆くファンも多いが、オカダの素晴らしい試合やマイクの思い出はファンの心の中にいつまでも残る。

そして今は海外マットの試合もオンタイムで観戦ができる時代。どこに行っても「カネの雨」を降らせてほしい。海外マットでのオカダ・カズチカの勇姿を楽しみにしたい。(文中敬称略)

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