XXスタイルの三冠王者・中嶋勝彦が「8分」と決着タイムを予告 過去には「5分」や馬場と猪木の大木戦を巡る場外戦も

【柴田惣一のプロレス現在過去未来】


©全日本プロレス

王道マットに「NewPeriod(新時代)」がやって来るのか、それとも混乱の渦を巻き起こす✖✖スタイルの天下が続くのか。全日本プロレスの今後を左右する大一番が迫っている。

3・30東京・大田区総合体育館大会の王者・中嶋勝彦安齊勇馬が挑む三冠戦。中嶋が「安齊は8分あれば十分。その後、諏訪魔とやってやる」と三冠戦ダブルヘッダーをぶち上げると、安齊は「あんまりなめんなよ」と珍しく声を荒げた。

試合時間を予告するタイトル戦といえば、2002年4月7日、東京・有明コロシアムのGHCヘビー級選手権試合が思い出される。王者・秋山準に小川良成が挑戦したのだが、それまでジュニアヘビー級戦線で活躍していた小川の度重なる挑発に秋山はイライラを募らせていた。

前哨戦で二人の挑発合戦は激化しヒートアップする一方だった。秋山は「5分以内で防衛してやる」と短期決戦をアピール。自信満々、V4戦に臨んだが、4分20秒、腕取り式首固めで小川にしてやられてしまった。

「約束通り、試合5分で終わらせました」と勝利者インタビューに応じた小川に、会場は大爆発。一瞬にして丸め込まれた秋山は茫然自失。肉体的ダメージは少ないはずだが、しばらく起き上がれなかった。

この一戦を知ってか知らずか、中嶋は5分ではなく8分で、安齊を仕留めると公言している。


写真:伊藤ミチタカ

また、こんなこともあった。日本プロレス時代、三羽烏と言われたジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎のライバル3人。1972年に馬場は全日本プロレスを、猪木は新日本プロレスを設立。大木は日本プロレスに残ったものの73年に崩壊してしまった。自分の団体を率いて人気を集めた馬場、猪木に対して大木は決して平たんなレスラー人生とはいかなくなった。

三人の運命の糸は複雑に絡み合い、74年10月10日、東京・蔵前国技館大会で猪木と大木の遺恨清算マッチが実現した。

大木の頭突きに額を割られた猪木がバックドロップで叩きつけ、13分13秒で仕留めた。猪木の名勝負のひとつにあげられることも多い一戦だった。

その一年後、1975年10月30日、蔵前大会でゴングが鳴ったのが、馬場VS大木だった。当時は袂を分かった馬場と猪木の「どちらが強いか」で大いに盛り上がっていた。

大木を仕留めるのに猪木は13分余り、馬場は何分で大木を倒すのか。勝負の行方とともに決着タイムを語り合うファンも多かった。

果たして大木の頭突きに額から流血した馬場だったが、ランニングネックブリーカーで3カウント。6分49秒だった。

猪木よりも早く大木を退けた馬場に、馬場ファンは喜びを爆発させた。現代のようにSNSもない時代だったが、会場で、酒場で、試合時間ひとつで熱く語り合っていたのだ。全盛期の馬場と猪木がともに実力と人気を誇っていた時代のエピソードのひとつである。


写真:伊藤ミチタカ

タイトルマッチといえば20分を超えるのが当たり前の令和にあって、中嶋が「8分」と言い出した。「新時代」を声高に繰り返す安齊に、昭和の匂いを感じさせるが、その真意は一体どこにあるのか。示した時間に何か意味があるのか。謎は深まるばかり。

安齊は全日本プロレスファンの期待を一身に集めている。デビュー1年半のキャリアであれば、普通ならプレッシャーに押し潰されてしまうところだろうが、逆にプレッシャーをも楽しむかのように、入場時でもリング上でも何度も頷く仕草からは、自信のほどがうかがえる。初戴冠も決して夢物語ではない。

そして、結果次第によっては4月18日、東京・後楽園ホールで開幕するチャンピオンカーニバルにも大きな影響が出て来るだろう。

今後の全日本プロレスの行方を左右する運命の3・30決戦が、いよいよ楽しみになってきた。(文中敬称略)


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