【wave】炎華デビューから1年:プロレスラーになるための大学受験、田中きずながモチベーション
写真:新井宏
デビューから1年、プロレスリングwaveの未来を担うマスクウーマン炎華は、田中きずなと同期である。両親がプロレスラーのきずなに何かと注目が集まるのは仕方のないところだが、「一般人」からデビューしたとはいえ、対照的な反面、炎華にはきずなとの共通点が意外と多い。同世代で身長体重もほぼ同じ。父が田中稔で母が府川唯未というきずなが物心ついたときからプロレスに囲まれていたのは当然としても、実は炎華も生まれたときからプロレスがそばにある環境に育っていたという。
「伯父さんがプロレスファンで、一緒について見に行かせてもらっていました。それこそ物心ついたときには、当たり前のようにプロレスを見ていましたね。叔父さんはプロレス全般を見ていたけど、おもに女子が多かったみたいです。後楽園や新宿によく観戦に行きました。OZアカデミーやwaveが多かったですね。選手の方とチェキを撮らせてもらって、一番古いのが2歳の頃です。加藤園子さん、永島千佳世さんと一緒に写っているのもあります。具体的には、2012年(11・4新宿FACE)にあった(AKINO&栗原あゆみ&飯田美花主催)『秋の栗ご飯興行』が記憶にありますね」
写真:新井宏
頻繁に女子プロレスを生観戦していた彼女。そんな彼女がプロレスラーになりたいと思ったのは、waveの18年5・4後楽園ホールだった。
「飯田さんの引退試合とCatch the waveの決勝戦があった日です。飯田さんは第1試合にも出て長浜浩江さんとシングルをしていました。キャッチの決勝戦は山下りなさんと浜田文子さん。その大会の盛り上がりとかがすごくて、みんながキラキラして見えて、会場の一体感とか選手のカッコよさから、その瞬間にプロレスやりたい!と思ったんですよね。それまではやりたいなんて思うこと全然なかったのに、なぜかこの瞬間にそう思ったんです。それまで叔父さんや顔見知りになった選手から『やらないの?』って聞かれたこともありました。もともと幼稚園の先生にずっとなりたくて、怖いし、痛いのはイヤですって言ってましたね。それがなぜか、いつも見に行っていたプロレスなのに、この瞬間にやりたいって思ったんです」
レスラーになりたいとの思いをすぐに家族に打ち明けた。だが、あえなく却下されてしまう。当時はまだ学生の身。当然、家族は心配する。
「自分では高校生になったら団体に入ると勝手に決めてたんですけど、親に怒られてしまって…。おじいちゃん、おばあちゃんにも『やめなさい』と言われてしまいました。高校生になったと同時にもう一度言ったんですけど、またダメで、『高校を卒業して大学にも行きなさい』と言われてしまって。それでも、高校を卒業したら勝手にやろうと思ってましたけど」
プロレスラーになる夢をあきらめきれなかった彼女は部活に加え、ひそかにトレーニングを開始した。
「もともと中学から6年間はバスケットボールをやっていて、バスケを通じて基礎的な体力をつけておこうと思いました。ほかに自分で筋トレやランニングをしていましたね。もちろん、プロレスラーになることを意識してです」
写真:新井宏
そして22年8月、彼女はwaveの練習に参加する。
「waveを選んだ理由は数えきれないくらいあります(笑)。大きく分けてふたつに絞るとすれば、ひとつは、ずっとあこがれて大好きだったHIRO’eさんのいる団体。もうひとつは、ハードコアとかコミカルとか、マルチなスタイルをやっているイメージがあったので、いろんなことをやってるwaveがいいなと思って選びました」
だが、そのときの練習はその日限り。そのまま順調に入団できたわけではなかった。彼女はある条件をクリアーしてからでないとプロレスをやらせてもらえなかったのである。
「4年制の大学卒業が、家族から出された条件でした。練習させてもらうのも、まずは大学に合格しないとプロレスをやらせてもらえなかったんです。それで大学受験をすることにしたんですけど、私は受験を早く終わらせたくて指定校推薦を使いました。それで一発で合格して、12月1日に結果が出たので、そこからwaveの練習生になったんです」