【俺達のプロレス名勝負列伝・第4回】男達の挽歌(雁之助&金村&黒田&マンモスVS天龍&冬木&嵐&北原 2001.12.9FMW)

新旧洋邦・数々のプロレス名勝負を独自視点で取り上げていく連載「俺達のプロレス名勝負列伝」。第4回は2001年12月9日FMW・後楽園ホール大会で行われたです。ミスター雁之助&金村キンタロー&黒田哲広&マンモス佐々木VS天龍源一郎&冬木弘道&嵐&北原光騎のFMW VS WARの全面対抗8人タッグマッチです。

伝説のインディー団体FMWは大仁田厚のカリスマ的人気もあり、プロレス界の風雲児としてのしあがっていくも、エンターテイメント路線に移行すると資金難もあり経営に苦戦していました。そんな状況下で団体を支えた選手達が次々と去っていきます。さらに団体のエース・ハヤブサ選手が再起不能に追い込sるほどの大怪我を負いました。団体の危機に立ち上がったのがハヤブサ選手が命を懸けた守ろうとして団体の選手達でした。ミスター雁之助選手はハヤブサ選手の盟友でありライバル。金村キンタロー選手はライバル。黒田哲広選手はハヤブサ選手が一時期ヒジの手術のために欠場していた期間にエースとして団体を支えてきました。マンモス佐々木選手はハヤブサ選手が大怪我を負った試合の対戦相手でした。彼等の生き様を体現するにはリングにしかありませんでした。

対戦相手となったのは団体の幹部として内外で動かしてきた冬木弘道選手が呼び寄せたWAR軍でした。ミスタープロレス天龍源一郎選手はかつてハヤブサ選手の兄としてマスクを被ったことがあったり、ハヤブサ選手と好勝負を展開したりと何かとハヤブサ選手と縁がありました。嵐選手と北原選手は当時参戦していた全日本プロレスでアジアタッグ王者として君臨するほど強さを誇る”WARの用心棒”でした。

試合はいきなり8人の男達の生き様が爆発します。特にハヤブサ選手の盟友・雁之助選手は天龍選手の猛然とぶつかります。雁之助選手はWAR参戦時代に天龍選手と対戦経験はありますが、あの時は一若手としての対戦でした。しかし、この時は団体の看板を背負い死に物狂いで挑みます。雁之助選手の心が他のFMW勢にも伝染していきます。プロレスセンスが高い金村選手と黒田選手が試合をうまく組み立て、ハヤブサ選手の大怪我のショックを受けながらも振り切ろうと奮闘するマンモス選手はその巨体を生かしてリングで躍動していきます。

一方のWARはあまりにも強いのです。天龍選手の逆水平チョップ、グーパンチ、顔面キックが容赦なく襲い、少しでも気を抜くとイスや机が飛んできます。冬木選手は全体を調整し、つなぎ役に徹していましたが、嵐選手と北原選手の強さはまた凄いのです。190cm 146kgの巨体を誇る嵐選手はどんな攻撃を受けても動じず一発のハンマーパンチでFMWの動きを止めます。また巨体を生かした圧殺技には場内は悲鳴が上がります。元修斗インストラクターの北原選手はFMWが多少おちゃらけな攻撃を展開するとすぐに反撃して制裁。FMWにとってはWARはあまりにも強大な”最強の要塞”だったのです。

それでもFMWは最後まで諦めませんでした。そして雁之助選手が冬木選手を一瞬の雁之助クラッチで3カウントを奪い、FMWが勝利を収め、場内は大爆発しました。試合後、天龍選手は「お前ら、これからも頑張れよ」とマイクでエールを送る感動的なエンディングを迎えました。

この日、後楽園ホールには男達の挽歌が鳴り響いていました。それぞれにさまざまな思いが渦巻いていたこの試合が結果的に翌2002年2月に崩壊するFMWにとって最後の名勝負だったのです。

 

ジャスト 日本

プロレス考察家/プロレスブロガー
1980年5月11日福岡県出身(和歌山県在住)。
1992年にテレビ放映されていた「ワールドプロレスリング」で新日本vs誠心会館の異種格闘技戦を見て、リングから放たれた圧倒的熱量に魅了され、プロレスファンとなる。
新日本、全日本、UWF系、インディー団体、アメリカンプロレス、ルチャ・リブレとありとあらゆるスタイルに触れることで、プロレスというジャンルとプロレスラーという生き方に深く興味を持つ。
現在アメブロで「ジャスト日本のプロレス考察日誌」を更新中。 2017年9月に初の著書・電子書籍「俺達が愛するプロレスラー劇場 Vol.1」が発売。
著書 俺達が愛するプロレスラー劇場 Vol.1(ごきげんビジネス出版)
俺達が愛するプロレスラー劇場 Vol.2(ごきげんビジネス出版)

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