「Re-プロレス愛」⑪(白A 荒井寿也)

白A

どうもコンニチハ!ARA-TOSHIです。

再びご無沙汰しております!ここのサイトでも告知して頂いてましたが、エビケン白Aジョイントショー!
無事?終了いたしました。

ご意見ご感想などありましたら、新たなリングネームと共にお聞かせください。
そしてその後、ボボ・ブラジルの行きたがっていた国「ブラジル」に行ってきました!

ちなみにサンパウロです。一応現地の方に「ブラジルでメジャーなスポーツは?」と尋ねてみましが
やはりプロレスではなくサッカーでした。

そりゃそうでしょうね!

でもでも、やはりといえばやはり!柔術教室はあるようです。
マーシャルアーツ系は割とメジャーなスポーツみたいでしたよ!

サンパウロは移民の流れなのか?日系の方も多く、街には日本人のコミュニティーがあるそうです。
たまたま街で見かけましたが「KUMON」がありましたよ!

ブラジルで見るとは思いませんでした。
あ、そしてスーパーには日本の調味料なんかも売っていて、味の素とか醤油も陳列しておりました。

そこのスーパーにタバスコが売っていたので買ってみましたよ!なんとなくアントニオな気分です。

はい。
そしてRe
プロレス愛11回目!前回はアニバーサリーな感じでしたので今回は改めて初心に帰ってみたいと思います。

ちょっとさっきトイレの中で考えていたのですが・・・

そもそもどれくらいプロレスが好きだったのか?を思い出してみようかなと!

プロレスというジャンルは恐ろしいくらいにコアコアなファンやオタクな方でいっぱいいっぱいですからね!

ARA-TOSHIの全盛期が一体どの程度なのか紹介してみましょ!
①週プロは毎週、ゴングはたまに購入。オールカラーの増刊号は超楽しみにしていた。

②ワールドプロレスを毎週録画(決して夜更かしをして見ない)

③中3の時に書いた年賀状のイラストがマサさん辻さん柴田さん(これはなかなかコア層かな)

④高1の時、新日を観に行き、入場の際の猪木氏のアゴをさわる。(若さの勢い)

⑤高1の時、新日を観に行き、入場の際の天山選手にチョップする。(若さの勢い)

⑥高1の時、コントの中でロメロスペシャルをキメる。(当時お笑い劇場に出ていた)

⑦高2の時、先輩にフランケンシュタイナーをかけてみたら意外とうまくいった(マットの上)

⑧高3の時、体育の時間はすべてプロレスor変則ルールの格闘技で過ごした(先生が体を動かしていれば何をしてても
良いといったので)

⑨高3の時部活(演劇部)で脚本の中にむりやりアントニオ猪木役を設け、演じる。

⑩高3の時、遊びといえば関節の取り合い(腕ひしぎで友達の靭帯をのばす。詫びの電話をいれる)

⑪高校卒業間近、キックボクシングジムに通いリングでプロレスの練習をする(ジムのコーチも何故か専門が合気柔術家)
といった感じかな~?私のプロレス履歴書。
全然コアコアではないと思いますが、なんとなく後半は総合格闘技の流れがきてますね。

時代的にもPRIDE.1が1997年なんで高2くらいだったかな?

僕の中で強いものの代名詞がプロレスから総合格闘技へ・・・・・。

今、思い出してもなんとなく寂しい気持ちにはなるので・・・。
あ!

それって愛があるから寂しい気持ちになるのかな?

 

 

 

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