【編集長コラム】「G1を彩った白き使者」
※渕㊧はドリー・ファンク・ジュニア㊨、西村修㊥とともに「神様」カール・ゴッチさんのお墓参り
棚橋弘至の3度目の優勝に沸いた28度目の新日本プロレス「G1クライマックス」。毎年、名場面が展開されるが、2000年の第10回大会では、優勝争いとは別枠で、忘れられない名シーンがあった。
全日本プロレスの渕正信が単身、新日マットに乗り込んできた。選手の大量離脱に見舞われた王道マットの危機に「30年の長い間、全日本プロレスと新日本プロレスとの間には厚い壁がありました。今日、その壁をぶち破りに来ました。全日本プロレスは選手2人しかいませんが(当時は、渕と川田利明の2人)看板の大きさとプライドは、新日本に負けてはいない!」と、歴史に残るマイクアピールをやってのけたのだ。
王道魂を熱く訴えた渕だったが、歓声と怒号が入り混じる中、蝶野正洋と対峙した渕に「オッサン、白いよ!」と、ヤジなのか感想なのかわからない声も、ずいぶん飛んだ。映画トップガンのテーマ曲「DANZER ZONE」が流れる中、ビシッと決めたスーツ姿で颯爽とリングに上がり、素晴らしいマイクアピールをした渕に「白いよ!」とは、考えてみれば失礼な話である。このころからだろうか、渕が親しみを込めて「白いオッサン」と例えられるようになったのは。
褐色の肌を維持するため、日焼けマシンを使用するレスラーもいる中で、渕の白さは際立っている。「いや~、何も手入れなんかしてないよ~」と渕は笑うが、本当に白い。
子供の頃から、日焼けしても赤くなるだけで黒くはならないという。確かにそういう体質の人はいるが、多くは女性で、男性がましてやプロレスラーがあの白さ、というのは珍しい。
そういえば、マウナケア・モスマンがリングネームを太陽ケアに変えた時、渕の新しいリングネームだと思ったファンもいた。「太陽ケア」とはUVカットの美白化粧品みたいではないか。
2013年、全日本プロレスは再び激震に見舞われた。フリーの立場になっていた渕は取締役に復帰し、王道プロレスを守り抜くために、再度、立ち上がった。全日ファンの歓声と拍手を集めた渕はやはり白かった。
さまざまな緊急事態を乗り越え、秋山準社長の元、上昇気流に乗る現在の全日本プロレスでも、渕は「王道の白き伝道師」として人気を集めている。
あるレスラーのお母さんが「白いオッサンって、ずいぶん弱そうなキャッチフレーズですね」とつぶやいた。どうやら「燃える闘魂」「東洋の巨人」「炎の飛龍」「破壊王」などと同じだと思ったらしい。思わず爆笑してしまった。キャッチフレーズではありませんから!
※秋山準社長ら全日勢と雄たけびをあげる渕㊧