【ZERO1】<田中将斗25周年特別インタビュー①>弾丸戦士、田中将斗誕生の歴史を振り返る!(FMW入団・大仁田・ハヤブサ、ECW参戦、ZERO1橋本・炎武連夢、ハッスル参戦まで)

デビュー25周年記念大会<2018年9月30日 (日) 東京・後楽園ホール>を控えたプロレスリングZERO1 弾丸戦士・田中将斗選手を独占インタビュー!

過去・現在・未来を振り返ったロングインタビューを全2回に分けてお届けします。

【25周年を振り返って】

–まずは25週年おめでとうございます。ご自身で25周年を振り返っていかがですか?

田中:あっという間でしたね。デビューしたときは、20年先とか考えたことがなかったんですけど、今振り返れば本当にあっという間に過ぎ去ったなという感じです。

–そうなんですね、デスマッチやハードコアなども経験されてますが、そのへんいかがでしょうか?

田中:FMWに在籍していたころは他団体とか出なかったので。FMWを出てからいろんな団体に出させてもらったので、いろんな団体のプロレスを経験させていただくことが出来ました。
海外に行っていろんなハードコアやレスリング、大きい選手やいろんなタイプの選手と日本でも海外でもやらせていただいたので、こんなにいろんなことが出来るというのは自分しかいないんじゃないかなって思っています。

–本当にいろんな経験されていますよね。

田中:なんでもありのFMWからデビューしたので今こういうスタイルでプロレスをやれているのではないかなと思います。
もちろん女子選手ともやるし、デビュー当時ミスター珍さんともやったようなお笑いのプロレスもやるし、本当にプロレスというスタイルのいろんなことを経験できたなと思います。

 

【プロレスラーを目指したきっかけ】

–プロレスラーを目指したきっかけはなんだったんですか?

田中:一番最初は小学生のときに初代タイガーマスクを見て、かっこいいなと思って。
ウルトラマンや仮面ライダーを見て、ウルトラマンになりたいって思うのと同じで、タイガーマスクを見てプロレスラーになりたいなと思ったのがきっかけですね。

–初代タイガーマスクのデビューは衝撃的でしたよね。

田中:やっぱり僕らの世代で佐山さんを見てプロレスラーにって方は多いですね。そして今見ても全然色褪せないですよね、動きも早いし、飛ぶし。
今のプロレスとはスタイルが違うとは思いますが、勉強になりますね。

 

田中将斗選手twitterより

【1993年 FMW入団、当時のFMWとは?】

–FMWに入られたキッカケはなんだったんですか?

田中:最初、新日本プロレスと全日本プロレスしかないときに、新日派だったので新日にすごく入りたいっていうのがあったんですね。
でも大仁田さんをきっかけにいろんなインディー団体が出てきて。はじめてFMWを観に行ったのが地元の和歌山の海南市の小さな体育館に大仁田さんが来たんですよ。
年に数回はプロレス団体が来ていたんですけど、あまりある機会ではないのでFMWという団体が来るらしいけど行ってみようかなと思って。
新日本さんが来たときとかは母親に頼んで前の方の席とかで観てたんですけど、FMWが来たときは知らない団体だし、立ち見でいいかなって。
でも行ってみたら全然お客さんがいないんですよね。ストリートファイトで僕の近くまで流血しながらの場外乱闘があったりして、全然お客さんいないんですけどね。
でも初めてタイガーマスクを見たときのような衝撃があったんですよね。すげえなぁと思って、そこから大仁田信者になっちゃったんですよね(笑)。もうプロレスでFMWしかないと!

–そこからFMWに連絡されたんですか?

田中:いや、高校ではラグビーもやっていたので、高校卒業時に大学と企業とで両方こないかとお誘いを受けたんです。
和歌山はラグビーがすごい強いわけではないのですが、一応和歌山県の代表をやっていたので。その頃はラグビーの楽しさも分かっていたので、プロレスを職業にできるのかなと。
その時は大阪プロレスもないし、東京に出なきゃいけないというのもあったので現実的に考えて、就職しますと。

–ではそこで一度就職されたんですね。

田中:1年弱くらい住友金属というチームに所属させていただいてました。
その頃は有名校から結構強化をしていた時期で取ってもらったのですが、住友金属って機械とか電気科の人が多く行くイメージあるじゃないですか。
僕行っていた高校は普通科だったので他の人と比べると元々の基礎がないんですよね。でも先生は基礎がある前提で話すから全然ついていけなくて。
勉強の後のラグビーの練習は楽しんですけどね。そして現場に出てもやっぱりついていけなくて辛い。で、あれ?俺こういうのがやりたいんじゃないよなって。
ラグビーは楽しいんだけど、なんか違うなと。それと同時にやっぱりプロレスがやりたいという気持ちもあったので、よし止めようと。1回勝負してみようかなと。

–周りからは反対されましたか?

田中:周りはどうせなれるわけないと思ってましたね。さすがに親はなれるわけないとは言いませんでしたけど。
ただ、住友金属という安定した会社を止めてまでプロレスラーになりたいと言うとは考えてなかったみたいですね。

–そしてついに憧れのFMW入団ですね、そのときはいかがでしたか?

田中:初めて親元を離れての一人暮らしだったので、本当に不安なことがいっぱいでしたね。どういう練習をするかも分からないので不安はありましたね。
ただ基礎体力の面では常にスクワット1000回とかをやっていたので不安はなかったし、基礎体力の部分で辛かったということはなかったですね。

–ラグビーで培った基礎体力ですね。

田中:そうですね、だから始め一番辛かったのはお相撲さんもやっている「股割り」というやつでしたね。股を開いて後ろから100kgくらいの男が3、4人乗っかるんですよね。
今ゼロワンではそこまでやらないですけど、その頃はそんなことをして無理やり足をつけるということをやってましたね。やると股関節がブチブチいうんですよ。
体が硬かったわけではなかったですが、その経験はなかったのでこれだけは本当に辛かったです。で、その後に練習が始まって、すぐにスクワットとかやって。

–股割りの直後にスクワットですか?それはかなりハードですね。。。

田中:や、もうやるしかないですね。やらないと怒られるので、痛みを我慢しながらですね。

–その頃道場でコーチされていたのはどなただったんですか?

田中:ターザン後藤さんです。

–鬼神ですね(笑)。

田中:鬼神です(笑)。ものすごい厳しかったですね。そういう人のもとでやれたので、今があるなと思います。
当時はうざいなと思うこともやはりあったんですけど、そこを通ってきてよかったなと今は思いますね。

–そして当時のFMWは異種格闘技戦のような感じだったと思うんですけど、どんな印象でしたか?

田中:誰かが乱入してきたとかいろんな事件が毎日起こってましたね。中に入ってはいるけどファンの心も持っているので、事件が起こるたびに興奮してましたね。

–結構ピリピリモードでした?

田中:ピリピリしてる感はありましたね。僕が入門して数か月くらいで大仁田さんが入院されて、後から「あのときは死にかけた」というのを聞きましたが、
そのときにちょっとFMWってどうなっちゃうんだろっていう気持ちがありましたね。

【大仁田厚との思い出】

–大仁田さんとターザン後藤さんがいらっしゃって。当時、お二人はどんな感じだったんですか?

田中:なんていうんですかね、先輩と後輩で結構派閥とまではいきませんが、大仁田さん派、後藤さん派とありましたね。

–田中選手はどちら派だったんですか?

田中:僕はもう大仁田さんに憧れてFMWに入ったし、入団して8か月くらいは大仁田さんの付き人もやっていたので、ガッツリ大仁田さんでしたね。

–大仁田さんの付き人は大変でした?

田中:いや、あまり付き人をしても手がかからないというか、すごくやりやすい方でしたね。
他の方の付き人はやったことがないんですけど、まわりからは「大仁田さんについたら大変だよ」とかいわれたんですけど、波長が合うのか全然大変だと思わなかったですね。

–性格的なものですかね?

田中:どうなんでしょう?ハヤブサさんとかは付き人をやったけどすぐ変わっちゃったらしいですけどね(笑)。僕はついてから引退されるまではずっとやってましたね。

–じゃあ相性がよかったんですね。

田中:そうですね。巡業出たら大仁田さん、僕、マネージャーでずっと一緒でご飯も一緒に食べてましたからね。
あ、でも一つちょっと嫌なことがあって。大仁田さん結構アウトドア好きなんですよ、釣りとか。僕嫌いなんですよ(笑)。
キャンプして、海でご飯作ったりとか・・・、それを巡業中試合前にするんですよ!僕はデビュー仕立てなので第1試合とか2試合なんですよ。大仁田さんメインじゃないですか。
大仁田さんはメインに間に合えばいいスケジュールで考えてるんですけど、僕は会場入りしたらすぐ試合とか間に合わなかったとか、そういうのがあるのでアウトドアやるのはすごく嫌でしたね。

–誘われたら断れないですもんね。

田中:常に一緒なんでね。じゃあ今日は釣りしてから行こう!とか。釣り大嫌いなんですよね。バンバン釣れればいいんでしょうけど、あれ時間との闘いじゃないですか。
苦手なんですよね。

–(笑)。じゃあわりとせっかちなほうなんですか?

田中:せっかち・・せっかちかもしれませんね。誰かと約束があるといったら、時間前倒しで着かないと気が済まないんですよね。10分、20分前には着いてないと落ち着かないというか。
余裕がないと何か起きたらと思っちゃうんですよね。

 

⇒次ページに続く(ハヤブサ選手との思い出、ECW参戦、ZERO1入団、橋本真也選手との出会い)

 

山口 義徳(プロレスTODAY総監督)
『プロレスTODAY総監督』
株式会社リアルクロスを設立し、❝楽しめるプロレスNEWSメディア❞『プロレスTODAY』を立上げ!
プロレスTODAYのインタビュー・企画・進行・管理を担当。
プロレスに懸ける情熱は不変!

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