【吉野恵悟のコラム的な記事(仮)】
(全回のつづき)
試合数も増え、やるたびに試合の楽しみが増えてきた私に日々
「もっとレフェリングの練習をしたい!」
「こんな社員業務したくて入ったんじゃない!」
「試合だけしていたい!」
なんてわがままな考えが強く出てくるようになりました。
でもそんなこと会社の人間に言うわけにもいかず、当時はフリーで試合の度に名古屋から大阪に来られていた師匠のテッド・タナベさんに生意気ににもそんな気持ちを伝えたのです。そして返ってきた言葉が・・・
「馬鹿野郎!レフェリーってのはな、団体の仕事もできてナンボなんだよ!」
「裏方の仕事があるから試合が出来るんだ。お前のレフェリングだけでメシ食えると思ってんのか?」
「レフェリー以外の業務せずに業界で上がっていけると思うなよ。そんなに甘くないぞ!」
当時19歳のクソガキの目を覚ましてくださいました。
今思えば、俺は何を失礼なこと言ってるんだと恥ずかしくなります。
数々の団体を渡り歩いて来られ、裏方として支えながらリング上でもきっちりと仕事をこなし、現在のインディー界の礎を築かれた師匠の経歴を否定するようなことを言ったのですから。
でも、「辞めちまえ!」なんて一言も言われることなく
「レフェリングと一緒。やればやるだけ楽しみが増えてくるから!」
「お前はもっと楽しんでやれるはずだよこの業界。だから頑張ろうな!」
って励ましてくださった。
そんな素敵な師匠に育てられたレフェリーが私、吉野恵悟という男です。
そのおかげで今は日々、数々の団体で裁かせていただいています。
昨年の天龍プロジェクト後楽園ホール大会でのバックステージの一コマ。
業界の名裏方がこんなに集まることなんて滅多にないので恐れ多くも加わらせていただきました。