【編集長コラム】「迫る2020東京五輪! 谷津嘉章は何を思う?」

入場券の抽選販売受付が始まり、いよいよ盛り上がる「2020東京五輪」だが、改めて注目を集めているのが谷津嘉章。DDTに加わり大暴れする谷津は、1976年モントリオール五輪のレスリング日本代表にして、1980年モスクワ五輪の「幻の代表」である。

モスクワ五輪では金メダル確実と言われていた。ところが、日本が参加をボイコットし、谷津は悔し涙に暮れている。懐かしのディスコナンバー「めざせ モスクワ」を聴くと、当時のニュース映像がよみがえる。

その後、谷津はレスリングエリートとして新日本プロレスに入団。「すごい谷津(ヤツ)になる!」と、入団会見で意気込んでいたが「神様」カール・ゴッチさんを「変なオッサンがいるなと思った」と、言ってしまったから、さあ大変。反感を買ってしまった。

「プロレスの神様に向かって『オッサン』とは何だ!」「不遜にも、程がある」等、谷津批判がしばらく続いた。会場にラジカセを持参したファンが「めざせ モスクワ」を流すという事件も起こった。谷津に悲しい記憶を思い出させようとしたらしい。これには「子どもじみているけど、谷津には効果的かも」と、他の選手たちも苦笑いだった。

ゴッチさんを師と仰ぐ、木戸修や藤波辰巳(現・辰爾)からも厳重注意を受けている。
「こんなところでプロの洗礼を受けるとは」と、谷津は汗を拭きふき、大きな体を丸めて恐縮していた。

「ゴッチさんをよく知らなかったから、つい口に出してしまったが、特に深い意味はなく、ゴッチさんを軽んじるとか貶めようという意図は全くなかった」と、今でも苦笑いで振り返る。

プロデビュー戦はニューヨークのMSGと華々しかった。WWFを半年間サーキットし、1981年6月に帰国。国内デビュー戦も、いきなりアントニオ猪木とタッグを組み、蔵前国技館のメインでスタンハンセン、アブドーラ・ザ・ブッチャー組と戦うなど、エース路線を歩んできた。

だが、オッサン発言が気になっていたのか、後々、ゴッチさんと会った時に「あの時はすいませんでした」と、何度も頭を下げた。ただし通訳だったゴッチさんの娘婿の故ミスター空中さんは、谷津の言葉を訳さなかった。ゴッチさんは、ただ姿勢よく聞いていた。

後日、ゴッチさんにその時の真実を伝えると「それは知らなかった。日本人特有の礼儀正しい挨拶かと思っていたから」と驚いていた。どうやらゴッチさんは「オッサン呼ばわり」を知らないままだったようだ。

多くの団体で活躍したレスラー人生を経て、実業家としても活動後、再びリングに上がる谷津は「モスクワには本当に行きたかった。男性更年期とかいろいろあった。いろんな事業も手掛けたりして波乱万丈の人生だったけどね」と、淡々としている。あの穏やかで人懐っこい笑顔は、昔と変わらない。

まだまだ「すごいヤツ」を目指して頑張っている谷津嘉章から目が離せない。

※ジグザグジギー宮澤聡氏所蔵のプロレスカード

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