【編集長コラム】「昭和の新日本プロレス道場」

先日、高田延彦氏が久しぶりにプロレス界のイベントに登場した。先輩・天龍源一郎氏とかつて繰り広げた名勝負を振り返るばど、大いに語り合ったが、新日本プロレス時代の若き高田氏の姿を思い出した。

高田氏始め若き獅子たち、今でいうヤングライオンたちが、ともに笑いともに涙を流していた新日本プロレス道場でのこと。日々、生活していくうえで、布団干しは欠かせない。

布団干しは大変だ。干して叩いて、ひっくり返してまた叩き、取り込む。力を入れて臨まないと、ホコリが出ない。だが叩き過ぎても綿が切れてしまうから、加減が大事だそうだ。

人は一晩でコップ一杯分の汗を出すという。布団はそれを吸っている。天日干しをすれば消毒にもなる。だが「やりたくない家事」の上位にランクインするほどの重労働。改めて女房に感謝しなくてはいけない。

今は、布団乾燥機などもあるが、昔はそんなものはなかった。布団を干さないといわゆる「せんべい布団」になる。縮こまって硬くなってしまうが・・・。

新日プロ道場が新装される、はるか以前の昭和の時代、きれい好きだった小林邦昭が寮長だった頃の話。今と同様、プロレス団体の道場にしてはきれいで小ざっぱりしていた。玄関は脱ぎ捨てられた靴が散乱していたが、台所や居間はきちんと片付き、清潔な感じだった。

ただ、各人の部屋は各々の自主性に任されていたので様々。何がどこにあるのかわからない部屋、意外に整理整頓された部屋、シンプルで何もない部屋。それぞれの個性が出ていた。

唯一、共通していたのは、みんな、せんべい布団だったこと。ほとんどの部屋がベッドを入れていたが、それでも布団は湿気る。だが布団干しは面倒だ。それでもたまには干していたのだが、ある朝、布団を干して、多摩川の河川敷にランニングに出ていたところ、にわか雨が降り、布団がビショビショに濡れてしまった。それ以来「雨が降ったら困るから」という口実で布団を干さなくなってしまった。

だが、汗っかきのレスラーの寝ている布団は、一般人よりも早く、せんべい布団になっていく。薄く、そしてコチコチ。そのうち何人か「体が痛い」と言い出す者も出てきた。せんべい布団がよくなかったのだろう。

ところが「体が痛いって事は、体が硬いってこと。柔軟が足りないせいだ」と、何故だか意見が一致。本来の理由には目をつぶり、若手選手は熱心に柔軟運動をこなした。

「よしよし、柔軟は大切だからな。怪我の予防にもなるし」。鬼軍曹と恐れられた故・山本小鉄さんも、当初は丁寧な柔軟運動を推奨していた。ところが、ふとしたきっかけで、異常なほど柔軟運動に取り組む、本当の理由が小鉄さんの知るところとなってしまった。

「バカッ! 布団を干せ!」。小鉄さんのひと言と同時に、布団叩きで一発ずつ若手選手が叩かれていた。

天日干しをして、ふかふかになった布団は気持ちが良い。干された布団を見る度に、新日道場のせんべい布団を思い出す。布団叩きで叩かれた当時の若手選手たち、今では引退して第二の人生を歩んでいる者が大半だが、彼らは今でもきっと、きちんと定期的に布団を干していることだろう。

あの頃と変わらぬ高田氏の笑顔に、色々な考えが浮かんでは消えた、令和元年の秋晴れの朝。

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