【訃報】風間ルミさんが55歳で死去 ジャパン女子プロレス・LLPWで活躍
元女子プロレスラーの風間ルミさんが55歳で急死したことが22日わかった。死因は不明。
風間ルミさんはジャパン女子プロレスやLLPWなどで活躍。
※2021年3月27日にZERO1奉納プロレスの女子プロレスレジェンドタッグマッチに、ゲストとしてライオネス飛鳥さんらと場内解説した際の写真
1986年にジャパン女子プロレスに入団し、歌手とも活躍した後、LLPWを92年に旗揚げ。レスラー兼社長として活躍し2002年に引退表明。2003年8月に後楽園ホールで引退した。
引退後は芸能活動や飲食店経営、講演活動などを行っていた。
<風間ルミさん来歴>
高校生でキックボクサープロデビューを果たし、1985年、シュートボクシング(SB)のシーザー武志会長に声をかけられ同団体入り。SB初の女子試合に出場、美少女シュートボクサーとして雑誌のグラビアを飾り人気アイドルとなる。
1986年、ジャッキー佐藤に誘われジャパン女子プロレスに入団。同期入団に神取忍。団体旗揚げ当初はその経歴から、佐藤、ナンシー久美、神取と共に四天王扱いを受けるが、その容姿から芸能活動にも駆り出され、「都会の流星」で歌手デビューしたり、朝日ソノラマとタイアップした同時進行漫画『蹴撃エンジェルRUMI』が『コミックファイター』に連載されたり、各種グラビアを飾った。
1992年にジャパン女子プロレスを脱退。同団体が解散した後、同年7月にLLPW(株式会社レディースレジェンドプロレスリング)を設立。女子プロ界では世界初の代表取締役社長兼現役レスラーとなる。
全日本女子プロレスとの対抗戦で、北斗晶との抗争の末、髪切りマッチで敗れ、坊主頭になる。
井上貴子、イーグル沢井らと「BLACK JOKER」を組んで活動。
2002年10月1日、社長を退任して神取忍に禅譲。
2003年8月3日、後楽園ホールにてプロレスラーを引退。LLPWのスーパーバイザーに就任するとともにタレント活動を再スタートさせた。
2006年、WAR最終興行で一夜限り復帰し、天龍源一郎とタッグを組んだ。
J SPORTSのLLPW中継での解説者の傍ら、女子プロレス初のゲイユニット「グラマーエンジェルス」をプロデュースしている。
2006年10月、神取忍が参議院議員に繰り上げ当選したことに伴い、公設秘書に就任。活動の中心を参議院議員会館に移した。
選挙では、選対本部長を務めた。
2008年、食育インストラクター資格取得。2016年、心理カウンセラー1級、コーチング1級資格取得。それぞれの資格を活かし、講師としても活動している。
2010年1月 神楽坂にイーグル沢井・小河真子の3人で「豚菜キッチン 絆」を開店(2012年12月22日閉店)。
その後ユニオンプロレスにて木高イサミ、福田洋のマネージャー(DIVA)として参戦。
2013年、ユニオン認定Fly to Everywhereワールドチャンピオンシップのコミッショナーに就任。
2018年、全日本道連盟 日本道アンバサダー就任。
2020年、11月YouTubeチャンネル「風間ルミ kazarumiチャンネル」を開設。レジェンド女子レスラーとの対談企画等をあげる。