【大日本】<登坂栄児社長>コロナ禍での興行再開、クラウドファンディング早期達成、企業プロレスによる業界再編について独占インタビュー!
大日本プロレス登坂栄児(49)社長に独占インタビュー!
現在、コロナ禍で観客席を減らしながら興行再開を行ったプロレス団体の社長としてこの時代をどう乗り切っていくのか、またクラウドファンディングの早期予算達成や、企業がプロレス団体の親会社になるSWS時代を経験した登坂氏が見る業界再編について独占インタビューを行った。
※全国巡業用のバスは昨年末に廃車となったがファンや後援者からの募金を元に4月に復活
<コロナ禍での過ごし方>
--コロナ禍では興行会社として非常に大変な思いをされてたと思うんですけど、大日本プロレスひいては登坂社長個人として、コロナ禍というのはどういうふうに過ごされてましたでしょうか。
登坂 誰もあったことのないことなので…まず40人全員がいろんな気持ちを持って、ほとんどが不安な気持ちを持って過ごしてたというのが実感です。テレビとかラジオとか新聞とか、そういったメディアに踊らされてると言ったら言葉変かもしれないけど、そこから入ってくる情報を自分たちで咀嚼(そしゃく)しながらどう動くべきかっていうのを考えていた時期ですので、もどかしかったのは実際のところです。やっぱり興行が準備したものが出来なくなるだけではなくて、その処理と言っていいのかわからないんですけど出来なかったものをどう処理していくか、それから今後やっていかなきゃいけない準備をどのタイミングでどう進めていくかがわからないです。とにかくどれに対しても不安と見えない状況が続いてたのが事実です。
--行政からの指示がテレビを通じてあったと思うんですよね。でも、イベント会社からすると自分たちに当てはめたときに、どういうふうにそれやっていけばいいのかとか、すごく悩みますよね。
登坂 悩みます。また自分たちだけでもないですし、他の業種、他の業界、他の団体も含めての動きを見ながらやっていきたいし、僕らだけがやるって言っても会場が利用できなければできないし、それにともなう交通機関ですとか、例えばチケット会社さんですとか、警備ですとかそういった会社いろんなところが関わっているので、僕らがやりたいですって言ったからやれる状況ではないんだなあというのも痛感しました。
--選手の皆さんはどんな感じでしたか。
登坂 ちょっと世代の差で受け取り方を間違えてたのかもしれないのですが、僕が声かける分にはみんな元気に「大丈夫です」って青木選手や野村選手とかも毎日のように道場に来て練習してて、汗かきながら笑ってくれたのでそれに甘えてた部分は正直あります。もしかしたら近い世代の人間とかには相談打ち明けてたり、不安を感じてる部分を話してた部分もあったんじゃないかなあとも思います。伊東選手とか、そういった中核の選手とか親族とかには悩みとかを相談してたっていうのは聞いています。
<興行再開について>
--ようやく興行再開、少しずつですけれども、観客を入れての興行再開に結びつきましたけども、お気持ち的にはいかがでしょうか。
登坂 どうやったら興行ができるかをコロナが始まった3月ぐらいから考えていたし、今も同じスタンスではやってるのは変わらないですね。お客さんに協力していただきながら位置と間隔をあけて、会場の換気をして、消毒と検温をして、予想できる限りのことを準備して対応するっていうことは変わりはないですけれども、着地点が見えないのでなんとも言えないですね。雨の日のスカイツリーじゃないですけど上の方は雲の中に隠れてて見えないけれども、ちょっと足元をきっちりきっちり踏みしめながら前に進んでるっていう感覚ですね。
--いつもだったら後楽園に多くのお客様が集まりますけども、2席飛ばし1席飛ばしって今後なっていくっていう形では景色が変わって見えましたか。
登坂 僕らの予測では、数字上だけでは今まで1,000人入ってたから、700席だったら300席ぐらいたりないんじゃないかとか、逆に言ったらまた時にはこの700人600人のときもあったので、800席あれば十分じゃないって思っていたんですけど、皆さんも、経済状況だったり、家庭環境や、お仕事ですとか、見えないコロナにどう立ち向かうか悩まれてる方とか、誰もが諸手を挙げて会場に来れるという状況ではないのは承知してるので、今はできる範囲でコツコツとやってって、拡散しない、蔓延させないっていうことだけを念頭に置いてやっていきたいなと思います。
※「大日魂」を背負い日々戦う主力選手の関本大介&岡林裕二
--本当にこのコロナが各大会やイベント関係など我々もそうだったんですけども、予定してたものがどんどん無くなってしまいました。
登坂 そうですね。でも、やってみていいなって思うこともたくさんあるんですよ。例えば客席を1個ずつ空けるのも、このあいだ北海道で試合やったときや大阪で試合やったときも、今までずっと並べるのがあたりまえ、だいぶ肩寄せ合ってたったのもあれでしたけど、1席空けてもいいじゃないかっていう感じはすごくありますね。
--お客さんにとっては隣が空いてる方が楽ですよね。
登坂 それはすごく思いましたし、どうやってこう生業をしっかりと形づくるかっていうのは、これから皆でやっていければなと思います。コロナは見えないものだけど…何ていうのかな、ずっと気持ちだけ引っ張られてたら、それに固執してしまうので、こういう状況だけれども、こうやってみたらどうだろう、ああやってみたらどうだろうっていうチャレンジはしたいなと。ただそれにはあんまり奇抜な方法は考えない。こうやれば整合性がつくんじゃないかとかではなくて、まずコロナを蔓延、拡散させたくないっていう部分で誠実にやっていきたいなと。
--それが一番大事ですよね。
登坂 そう思います。
<クラウドファンディングで予算到達>
--あと、クラウドファンディングで見事予算到達、しかも1ヶ月を残して早めに来ましたよね。
登坂 そうですね。
--僕カウントしてたんですよね。もう来るなと思ってたら、あっという間にきちゃった!ファンの力はすごいですね。
登坂 何か、まざまざとみんなの強さを見せてもらっていただいたというか。お金は正直まだもうちょっとあとなんですけど、入ってくるのは。すごい支えになりましたよね、そういう人たちがいるんだっていうことをやっぱり目に届く、耳に聞こえる範囲じゃなくて、日本全国にいたんだと思うと、すごく励みになりました。実質的なお金ではなくて。
--登坂社長が文章で書かれてた「大日本プロレスは親会社があっての、そういう興行会社じゃないぶん、多くのファンの皆様に支えてもらってる」っていうのがそこの数字にもやっぱり表れたんだなって思いました。
登坂 本当にあんなこと言ってね、全然集まらなかったら(笑)
--でもファンの人たちは本当に温かい。
登坂 温かい通り越して熱いに近いかもしれないですけど。はい。
--あれはやっぱ感動しますよね。
登坂 選手たちにも別に全てお客様に恵んで欲しい、ということでの話じゃなくて、特別興行をやると決めてチケット代金を先に払って売ってたり、グッズの、いわゆるクーポン券を1万1千円相当の物を1万で売るということなので、決してみじめなことでも何でもなくて、逆にそういうふうに思うと応援してくれた人たちの気持ちをね、何か逆にないがしろにしてしまうので、堂々と大日本プロレスファンはこれだけ温かくて熱いんだっていうことを誇りに思って練習に励んでほしいという話もして。早速クーポン券とかは東京だけじゃなくて、大阪や北海道でも、まぁたくさんですよ、本当にたくさん使っていただいて、嬉しい限りでもう選手が対応できないぐらい。本当にいっぱい。すごくびっくりするぐらい、いい意味で。このお客さんも買ってくれたんだね、このお客さんも参加くれたんだっていう形で、皆さんクーポン券を持って来ていただけるので。
--素晴らしいですね。クラウドファンディングのすごい成功例がプロレス界で一つ出たっていうことは、これは素晴らしいことだと思います。
登坂 それは良かったと、そう言っていただければ本当に良かったなと。みんなで作るものなので。
--コロナがこれからどうなるのかわかりませんし、そういう中でもファンの皆さんの温かさ、熱意が大日本プロレスにも届いたんじゃないかなっていうのはすごく感じました。
登坂 再開興行の後楽園でも、それから大阪ですとか、北海道でもやっぱり「来てくれてありがとう」とか「開催してくれてありがとう」と言っていただけるので、僕らも同じ気持ちでいるんですけどね、「来ていただいてありがとう」「見に来てくれてありがとう」という気持ちでいるんですけど、みんなが感謝し合ってる良い関係でいるんで、この気持ちを大切にして、やっていきたいです。
--まだアフターコロナとはいま言えない状況なんですけど。
登坂 全然ですよね。
--いつまで続くのか、ワクチンができても、そこから接種するまでにどんだけの期間がかかるのかっていうところもあると思うんで、このコロナ禍の中でですね、プロレス界でもぜひ、大日本プロレスの今までのデスマッチ路線ストロング路線ともに、強化して頑張っていただきたいと思っております。
登坂 引き続きどうかよろしくお願いいたします。
▼これまでの歩み・軌跡
1994年12月21日 元全日本プロレスのグレート小鹿が会社を設立
1995年3月16日 横浜文化体育館で旗揚げ戦を開催
2001年1月 横浜アリーナ大会を開催
2015年 旗揚げ20周年を記念して両国国技館大会を開催
2020年3月16日 25周年記念興行を旗揚げ戦と同日・同会場(横浜文化体育館)にて開催
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