“邪道姫”工藤めぐみのプロレス人生


写真:本人提供

 ところが、当時のFMW女子はまだまだ黎明期とはいえ、全女出身の彼女たちからすれば許しがたいレベルだった。気がつけば、天田が客席を離れリングに向かっている。それを追うようにして工藤もリングに上がってしまった。「豊田ひとりが残ってしまって(笑)」

「こんなのプロレスじゃない。本当のプロレスを教えてやる!」元全女勢の乱入により、工藤はプロレス復帰を決意する。ではこのとき、彼女にはどんな思いがあったのだろうか。

「日常生活では感じられない興奮がありました。ライトの熱さや歓声。やっぱりこれはリングの上じゃないと味わえない。これがプロレスなんだと思って、ここにまた戻りたいと一瞬で思いましたね。2年間、練習もしてないし受け身も取ってないけど、またやると決めてからは基礎を取り戻すために3人で道場に通いまくりました」

 自分の気持ちにウソはつけなかった。と同時に、仕事への未練もあったという。

「私は、子どもたちのかわいらしさにすごく助けられたんですよ。新しい道を子どもたちに見つけさせてもらったんです。だから、この子たちから離れるのはすごく寂しかったです。でも、そこを吹っ切って、中途半端なやめ方をして正面から見れずに避けてきたプロレスをもう一度やろうと決めました」

 プロレスラーとして復帰し、FMW女子のレベルを上げるとの目的もありヒールから正規軍サイドに移った。男女混合団体で初めてのミックスドマッチも経験すると、女子プロ界は団体対抗戦時代に突入。口火を切ったのが、彼女の試合だった。92年9・19横浜スタジアムでの工藤&豊田組vsブル中野&北斗晶組。古巣・全女との闘いである。

「そんな日が来るとは思ってもいませんでした。というか、自分がやりたいと言ったわけでもなく、(シャーク)土屋と(クラッシャー)前泊の暴走からの流れで、私たちがFMW代表という流れになったんですよね。それにしても、すごい巡り合わせがあるものだなって」


写真:本人提供

 これをきっかけに、JWPやLLPWも巻き込む本格的な団体対抗戦がスタート。工藤はFMWの看板を背負い、また、FMWの若手を牽引する立場となった。その中で、女子プロ界の大物たちと次々に対戦。同期でWWWA世界シングル王者に上り詰めていたアジャコングもそのひとりだ。

「私は早々と全女をやめてしまったので、私の中では宍戸江利花(アジャの本名)のままだったんです。活躍を人伝に聞いてはいたけど、アジャという存在を実際には見ていない。でも、リングで向き合ったとき自分が知ってる宍戸江利花とはまったくの別人だとわかりました。それでいて、どこか懐かしさを感じたのもまた事実でしたね」

 個人としては、団体の看板を背負ってトップで闘うよりも、団体内の底上げを重視したかった。それでいて、外でも闘いたいという若手がいれば後押しを惜しまない。そして、団体対抗戦時代も終焉を迎える。この頃、工藤はデスマッチに足を踏み入れることとなる。最初は、有刺鉄線デスマッチだ。

「まさか自分がやるとは思わなかったし、やってはいけないものだと思っていました。有刺鉄線はFMWの象徴でもあり、有刺鉄線の試合でその日の大会が終わるのがFMWのスタイル。そこはまた男子の領域であり、女子が入り込むというのに私はすごく抵抗がありました。が、やると決まってからは、気持ちを切り替えましたね。そのときは大仁田さんが引退されて、新生FMWではそういった(大仁田の)色を消していこうとしていたんです。デスマッチ色を消して新生としてやっていこうというときに、どうして女子が戻そうとするんだという声もありました。でも、私には有刺鉄線マッチがFMWに入ろうとしたきっかけでもありますし、FMWだからこういったデスマッチができる。だから、みんなが消そうとするんだったら私はあえて女子がやってもいいんじゃないかなと思ったんですよね」


写真:本人提供

 そして、95年9・5札幌で女子初の有刺鉄線マッチに臨んだ工藤。これが最初で最後のつもりだったのだが、結果的には周囲がこれを許さなかった。デスマッチを続けていくうちに、ひとは彼女を「邪道姫」と呼ぶようになっていく。

「私は一回限りのつもりでいました。というのも、デスマッチって最終決着戦でやるべきものだと思うんですよ。いろんな流れがあってデスマッチが終われば、その抗争に決着がつく。なので、その後にいろいろと形を変えてデスマッチをやっていくことになるとは思ってもいませんでしたね」

 当然、デスマッチを重ねることによって身体に与えるダメージは大きい。痛みは想像以上で、未知の領域だからこそ男子の試合からは予想できなかった、髪が絡みついたりコスチュームが引っかかるなどのハプニングも多かった。そして、初の有刺鉄線デスマッチから約1年半後、工藤は土屋との「ノーロープ有刺鉄線電流爆破バリケードダブルヘルデスマッチ」で引退する。

「腰の状態が悪かったのもありますが、やり尽くした思いもありました。私が身を引いて、若い選手が新しいFMW女子を作る時期に差し掛かってきてるんじゃないかなって」

 最後は横浜アリーナで、邪道姫らしく壮絶な闘いでキャリアを終えた工藤。最後の瞬間、脳裏に去来した思いとは?

「最後の最後で髪や肌に火を噴かれて火傷したり、そこでまた新しい体験もしました。そんな中で最後にスリーカウント入ったとき、寂しいと思ったんですよね。その瞬間はハッキリ覚えています。あ、寂しい、終わってしまったんだって…。立っているのがやっとのくらいのダメージだったんですけど、そういう終わり方ができてよかったなって思います」

 リングを下りて以来、彼女には不思議なくらい復帰の噂がない。実際のところ、もう一度試合をしてみたいと思ったことはなかったのだろうか。

「よく言われましたよ(笑)。やめた方や復帰した方からも『またやりたくなるから』って。でも、本当に悔いなくやめられたので、(復帰しようと思ったことは)一度もないです(笑)」

➡次ページ(プロレスリングZERO1のGM就任・週刊プロレスの表紙)へ続く

◆プロレスTODAY(LINEで友達追加)
友だち追加

Pages 1 2 3