『10.7 昭和の新日本プロレスが蘇る日』開催直前企画 ケンカしてこそ道は開く! “過激な仕掛け人”新間寿 独占インタビュー。
- アリvs猪木戦のお宝展示品は新間寿の夢のかたまりだ
お宝展示品は興行ポスター、伝説のベルト、トロフィーなどのほか、アリvs猪木戦に関するものが多い。それだけあの「アリvs猪木戦」の新間の思いは誰よりも強いということだ。当時、誰もが実現なんて無理だと思っていたことを、やり遂げたのだのだから。それらの展示品は新間寿の夢のかたまりだ。
「アリvs猪木戦実現に動いた時、私は41歳でしたよ。いま81歳。私の気力を奮い立たせるものは過去にあると思った。奮い立たせるもの。それが不可能と言われ、みんなに馬鹿にされた「アリvs猪木戦の実現」だった。我、いまだに戦場にありという気持ちですよ。そして、ヨーシ、あの凄い時代を過ごした時のことを一緒に楽しんでもらって、元気をもらいにきてくれという気持ちで「昭和の新日本プロレスが蘇る日」をやろうと思ったんだ。
それにしてもよく喧嘩してきたよ。来日したアリに、日本のボクシング記者たちは騒然とした。なぜならボクシング記者たちは『われわれの世界で崇高なチャンピオンがなぜプロレスのリングに上がるんだ』という気持ちがあったからだよ。ボクシング記者クラブというのがあって、私はそこと対決した。というのは、試合当日の仕切りはどの社がやるんだということになった。私は朝日、読売、毎日がボクシングの幹事社かなんだか知らないけど自分たちに取材席の仕切りを任せててほしい、と言ってきた時に、心の中で『ふざけんじゃない。うちの幹事会社は東京スポーツだ』といって拒否してやったよ。彼らは『ボクシングの世界王者がくるのになんで東京スポーツが仕切るんだ』と抗議してきたけどね。だから『これまでプロレスをバカにしたり、記事も書いてこなかったマスコミに、どうして我々の大会の仕切りをお願いしなきゃいけないんだ』と答えたんだ。
そのしっぺ返しが試合の翌日の新聞。世紀の凡戦と書かれたんだ。あのルールの中での闘い。言われなき批判だった。
だから、あの試合が終わった時の無力感ったらなかったね。新聞記事と頭の中はどうやったら借金(残金120万ドル)を返せるんだと途方に暮れたよ。やったんだ、やり遂げたんだという達成感はなかった。今頃になって、あの試合は凄かったなんて言われているけど、ふざけんじゃないよ。どうして、あの時に言ってくれなかったんだと思うよ。すごい試合だったと一言でも言ってくれれば、あの無力感の中でどれだけ救われたか。
しかしね、その後、私は『当初の約束とは違う』と残金の120万ドルをアリ側に支払わなかった。アリ側には180万ドルを手付金として支払って、あとで120万ドルを支払う予定だった。しかし、アリ側の無法なルールチェンジに頭に来てましたからね。もう腹をくくって『ヨーシ、残りのギャラを払う必要はない。裁判によって決着をつけよう』と決心したんだ。
もともと「猪木はプロレスのルールにしたがい、アリはボクシングのルールにしたがい、お互いのルールを尊重しあった、総合ルールを作り上げよう」というところからスタートして契約をしたんだ。それで180万ドルの手付金を支払ったわけだからね。
私は『ルールが無法にも前日に変えられてしまって、ウチとすれば試合をどうしてもやらなきゃならないために、そのルールを飲まざるを得なかった。だから、猪木はああいう闘いしかやりようがなかった。しかるに翌日の新聞は猪木を酷評。おかげで、その後、客の入りも激減し、興行に大きな損失があった』としてウチは東京地裁に2億円の損害賠償の民事訴訟を起こしたんだよ。
喧嘩? うん、これも喧嘩だよ。というよりも相手の理不尽に体当たりしただけですよ。
するとアリ側は、すばやく3千万ドルの契約不履行訴訟を起こした。それとテレビ朝日のニューヨーク支局にも差し押さえ要求をしてきた。しかし、1年ほど経つと、どんどんドル安円高になってきた。310円だったのが、200円台になってきた。
しかし、こうなってくると支払うとしてももっと安くなってから払えばいいじゃないかとなってくる。だから『慌てて和解する必要はない』と弁護士に言われてね。
ちょうど話し合いのいい頃合いになってきた。燃えよ闘魂ですよ。私は通訳のケン田島さん、大杉弁護士とともにアメリカに行ったんだ。そうして、マネージャーのハーバート・モハメッドと会った。
会談の場所はアリ側の弁護士事務所のある立派なビルのミーティングルームだった。
お互いに弁護士同士というのは、自分の手の内を見せない。だから、いつまでたっても話し合いは平行線のままだった。そこで私がハーバート・モハメッドに『2人きりで話をしたい』と言った。
すると弁護士たちが『冗談じゃない』と騒ぎ出した。2人きりで話したんでは弁護士の役目は果たさないし、お金が取れないからね。しかし、ハーバードは弁護士たちに『シャラップ!』と言ってね。みんな席を外してもらった。田島さんだけが通訳として残ってくれた。私は言った。
『あなたもモスレムの信者であり、派の代表だ。私の父も日本の宗教家であり、私も宗教家の息子として生まれ、私の実家はお寺だ。宗教というのは世の中の人を救うためにあるのではないか。私たちのアントニオ猪木も、モハメッド・アリもリングの中で多くの人に夢を与え続けるために、ファイトをしてきたんじゃないのか。なのに、このように、それぞれのスターを守るために裁判を起こし、お互いに不幸になってしまっている。そこで私はある提案をしたい』と言った。
するとハーバードはうなずきながら『新間、その提案というのは何だ?』と訊いてきた。
『いま円高だ。こちらから言わせれば、このままだと150円なり100円になっていくだろう。うちの弁護士達は、これから円はどんどん強くなっていくから裁判は急ぐことはないと言っている。しかし、私はモハメッド・アリを守るあなた達の気持ちに大変感激した。私は特にハーバード・モハメッドという人に尊敬の念を抱いてきた。猪木もモハメッド・アリを大変、尊敬をしている。ぜひ、今日、私とあなたの間で裁判の決着をつけたいんです』。
そして要求した。
『新日本プロレスはあの試合によって、大変なダメージを受けている。会社は売上げも減少した。私も専務取締役から一介の社員に降格した。だから、もう一度、正々堂々と闘えるルールで再戦をお願いしたいんです!』
ハーバートは言った。
『わかった。しかし、アリがOKしてキャンプを張ると言った場合には、そのキャンプ料金を支払えるか』
私は即決で「もちろんだ」と承諾した。
ハーバードも即決だった。『新間、話は決まった。もう裁判もやめよう。再戦のサインもしてやる。新間、いまここで再戦の文書を書け』。
そこで通訳のケン田島さんと同行した大杉弁護士にお願いして、すぐにその部屋で簡単な契約書を書いてもらった。それで、私がすぐにアントニオ猪木に委任さている代理としてサインをしてハーバートに渡した。
こうして新日本はアリ側に対して起こしていた裁判を即座に取り下げ、またアリ側も新日本プロレスとその関連の裁判についてすべて取り下げることになったんだ」
おそらくこれも喧嘩の精神だと思うよ。喧嘩の精神で体当たりをしていった。だから、道が開けたんだと思うんだ。