【編集長コラム】「S・S・マシン お疲れ様でした」

ギギギ、ガガガ・・・

昭和、平成のマット界を彩った名選手、スーパー・ストロング・マシンが6・19新日本プロレス後楽園ホール大会で引退した。

「私のプロレス人生に全く悔いはありません。やりきったと言う感じです」という言葉に、レスラー人生の全てが凝縮されていた。

次から次へと増殖するマシン軍団。「機械」なのだが、時折見せる人間味。頑健な体で力強く、そして器用に何でもこなす、魅力あふれるレスラーだった。

「おまえ、平田だろ!」と言い放った藤波辰巳(現・辰爾)は「何だかわからないんだけど、つい言っちゃったんだよね」と当時を振り返り「『そんなのみんな知っているよ!』と、ファンから突っ込まれたんだ」と頭をかいた。

初代タイガーマスクの佐山聡と違い、1984年にマスクマンに変身した当初から、中身は周知の事実だった。

正体がわかっていてミステリアスな部分が欠如しているハズなのに、あそこまでマスクマンとして人気が出たのも、裏打ちされた実力があってこそ。

若き日の平田淳二は、イケメンレスラーの走りだった。「子どもの頃のあだ名は『象さん』だった」と、コッソリ明かしてくれたことがある。優しくかわいい目が、象さんをイメージさせたからだろう。

会場で販売された公式パンフレットに、本名の「淳二」が誤植され「淳三」になっていた時期がある。「淳一ならまだいいけど、淳三だと、何だかおじいさんみたいでイヤだな」とボヤいた平田は、会社に修正を申し入れるも、しばらくは「淳三」のままだった。

後年「淳嗣」に改名したのは、もう数字はコリゴリということだったのかも知れない。

若手の頃、居酒屋で空手道場のグループにからまれた平田。大きなテーブルで相席になってしまい、新日プロの選手だと気付かれたらしい。

最初は無視していたのだが、あまりにしつこかったため、さすがに堪忍袋の緒が切れた。無言で向い側にいた相手の胸ぐらを片手でつかみ、テーブルの上を越して自分の隣りに移した。すると、さっきまでの威勢の良さはどこへやら、相手は青くなり逃げ帰ってしまった。

「こっちはプロ。手は出せないから、考えた末の行動だった」と、何事もなかったかのような平田。その後も、楽しく飲食し、お店の人に「すいませんでしたね、お客さん帰しちゃって」と頭を下げた。

「いやいや『ケンカになるんじゃないか』と、ヒヤヒヤしていたんですよ。大人の対応、ありがとうございます」と感謝されていた。

同席していた人たちも、90キロはありそうな、ガッチリした体格の空手選手を片手で持ち上げた平田のパワーには脱帽し、その穏やかな対応に、感心しきりだったという。

外国人選手の宿舎で、サインをもらおうと待っていた女性ファンが、タチの良くない怖い人たちに絡まれていた時も、最初に助けに入ったのは平田だった。

ニコニコと優しい平田は、熟女から少女まで大モテ。男性ファンも多く、いつも多くの人々に取り囲まれていた。

哀愁を感じるマスクマン、感情が見えるマスクマンとも言われたマシン。それは彼の内面からにじみ出た、人間力だったのかも知れない。

引退は淋しいが、区切りをつけて第二の人生に幸多かれと祈ります。

本当にお疲れ様でした。

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