【編集長コラム】「オールスター戦開催で思い出した!」

馬場さんを追善するオールスター戦が話題に上がっている。普段はしのぎを削りあっている各団体が一堂に会するのは、本当にマレなことだ。

猪木・新日本プロレスと馬場・全日本プロレス、そして国際プロレスが激しい興行戦争を展開する中、開催された「夢のオールスター戦」(1979年8月26日、日本武道館)実現に向けて、舞台裏がどんなに大変だったか、先輩記者から聞かせていただいた。

「オールトゥギャザー」(2011年8月27日、日本武道館)の際には、まさに渦中にいたので、団体間の調整の難しさは身にしみている。

現在は団体間の軋轢も少なくなっている。馬場さんの没後20周年を追善する大会は、すんなりとゴングを迎えそうで何よりだ。

「馬場と猪木」といえば、忘れられない「事件」がある。

1984年4月4日、全日本プロレスの岡山武道館大会を取材するため、岡山駅に降り立った。すると関東近郊の試合を控えているはずの猪木が、目の前にいたのだ。

「い、猪木さん。どうしてここに?」「おう、どうした? そっちこそ、なんで?」から始まり、何と猪木を全日本プロレスの会場に連れて行くことになった。

それからの一時間あまりの光景を今でも鮮明に思い出す。

タクシーに猪木を押し込み、岡山武道館に向かった。何を話したのだろうか? そこだけはよく思い出せない。

春休みのせいか、まだまだ開場前の早い時間なのに、入り待ちのファンがたくさんいた。

「猪木だよ」「ウソ、なんで?」

ファンに囲まれてしまった猪木を、あたふたと体育館の中へ連れ込んだ。

リングの周りで練習していた全日勢の顔に「?」が浮かんでいる。全員が馬場さんの顔色をうかがっている。誰よりもビックリしたはずの馬場さんは、エプロンに座っていた。

リングシューズの紐をしめる馬場さんに話しかける猪木。遠く離れて「馬場と猪木」を見入る全日軍団。当時はまだまだ興行戦争の火花を散らしていた二人だったが、意外なほど、にこやかに話し込んでいた。

頃合いをはかって「何の話ですか?」と割り込んだ。「そんなこと、言えるか」と、いつもの調子で笑う馬場さん。猪木は「内々の話に決まっているだろ」とニコリ。

携帯電話が普及する前の時代だ。会社と何度も連絡を取り、必死に呼び出したカメラマンも、何とか間に合った。全日本プロレスの会場で語り合う「馬場と猪木」は「週刊ザ・プロレス」の表紙を飾った。

後々、この日、猪木は岡山駅近くにあった林原研究所を訪れていたこと、馬場さんに様々な相談を持ち掛けていたことなどが、わかってきた。

いずれにせよ「馬場と猪木」会談を実現させた喜びは大きかった。

「馬場と猪木」の間に記者がたたずむ3ショットが「週刊ファイト」の裏表紙に掲載されたのも、いい思い出だ。

今から34年前の文字通りセピア色の記憶。これからも思い出の宝箱に大事にしまっておきたい。

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