【宝城カイリ インタビュー・前編】最後の後楽園ホールを終えて、海賊王女の成長を振り返る!

スターダムから卒業し、「長い航海に出る」ことを発表した、宝城カイリ選手。5月14日に最後の後楽園ホール大会を迎えた直後の宝城カイリ選手に、お話を伺った。


<最後の後楽園ホール、だけど明るく楽しく>

――先日行われた岩谷麻優戦の振り返りから伺います。ベルトは失いましたが、次につながるさわやかな終わり方になりましたね。「任せたよ」といった感じで。

宝城:麻優さんとはいろいろご縁があります。同じ山口県出身で、はじめて後楽園ホールで戦った相手も麻優さん、初勝利の相手も麻優さんで、節目節目に戦ってきた相手です。ここ2-3年、スリーダムの体制になってからは組むことも戦うこともあまりなく、シングル自体が二年ちょっとぶり。私も麻優さんもファンの皆さんにも、新鮮なカードでした。

――久しぶりの再会でした。

宝城:序盤はお互い戦えることを楽しんで、探り合いからのスタート。お互いに笑顔が出るシーンもあったんですけど、中盤からはタイトルマッチという勝負の世界、バチバチと、麻優さんと自分にしかできない戦いをしたうえで、最後は自分が負けた。悔しくもあるんですけど、マリンスパイクとか、自分の技を麻優さんが使ってきたのが印象的です。この技は麻優さんに似合ってるし、麻優さんしかできなさそうな技なので。

――お二人の試合はスイングしますね。試合の中で、感傷的な思いは出ましたか?

宝城:入場した感覚でわかったんですけど、逆にファンの皆さんの方がしんみりしていました。開始前から、もううるっときてる(笑) 入場するときにファンの皆さんの顔を見ていくんですけど、悲しそうな顔をしている人がたくさん。私も麻優さんも、自分の試合を見て笑顔になって、元気や勇気を持って帰ってもらいたい思いがあるので、逆に明るくて激しい、いつも通りの試合をしました。最後だからしんみりした感じにはならなかったし、しようとも思わなかったので。

――ラストの後楽園大会、入場の時はグッと来ましたか?

宝城:自分の中でグッと来ました。うるって来ましたね。ファンの方が写真を撮っていてくださったんですけど、目がメチャクチャ潤んでるんです。後楽園ホールは大きな会場ですし、プロレスの聖地で、ほかの会場とも違う雰囲気が好きでした。自分の、最後のタイトルマッチ用のテーマが流れた瞬間に、「ああ、これが最後なのか」と、やっと実感がわいてきました。

――入場を待つ袖で、こみあげてくる?

宝城:シングルは入場も孤独なので、いろんなことがフラッシュバックしましたね。これまでの激闘、里村(明衣子)さんとの30分(ドロー)、赤いベルトを巻いたこと、いろんな思い出が、後楽園ホールにありましたから。

 

<海賊王女の成長>

――カイリさんというと、マイクがお上手だと思うんですが……

宝城:上手ではないですよー(笑) 自由に、って感じです。

――マイクでファンとのコミュニケーションを図っています。

宝城:デビューしたころは声が小さくて、お客さんに何も伝わっていなかったし、キャラもブレブレだったし、本当に苦手でしたね。

――今では、カイリさんにマイクを預けたら大丈夫、みたいな空気感があります。

宝城:昔は何を話そうかと考えすぎて委縮しちゃった部分もあったんですが、今はマイクを握る瞬間まで、あえて何も考えないようにしています。全部アドリブで、思ったことを言った方がいいんだと途中からわかったんです。

――学生時代から今みたいなキャラだったんですか?

宝城:昔から人を笑わせたり楽しませるのが好きです。人を笑顔にさせるのが、自分の中で生きがいなのかな。

――試合スタイルも魅力ですが、ファンとのコミュニケーションが素敵です。面白くて可愛らしく、親近感がわいてきます。

宝城:あえて飾らないようにしています。ファンの人との間に壁を作らず、仲良くしたいんです。一期一会だと思っているので。

――ファン受けがいいですよね。試合後の列も一番並んでいるし。

宝城:並んでくれるお客さんのタイプって、選手によって全然違うんですよ。私の場合、好きとかラブとかというよりも、会話を楽しみに来てくれる方も結構多いかなって。

――ファンの方のことをよく覚えてますよね。

宝城:一回来てくれたらほぼ忘れないですね。名前は一度で覚えられたらいいんですけど、なるべく覚えて(笑)

――覚えるためのコツはあるんですか? 後輩に教えなきゃいけないと思うんですけど(笑)

宝城:ニックネームをつけたりします。ちゃん付けとか(笑)

――昔からそういうコミュニケーションをし続けて、ファンをつかんでいったんですね。

宝城:プロテストも追試で始まったり、周りから空回りしていると言われることが多くて、必死は必死だけど必死になる方向が違ったり、視野が狭かったり、何をしているのか自分でもわからない時期が一年以上続いていました。

――正しく回り始めた瞬間はいつごろですか?

宝城:不思議なんですけど、ある日急に変わるんです。ヨットも、始めて最初はドベだったのに、三年生の頃には急にインターハイで準優勝できました。プロレスでは、(高橋)奈苗さん(現・高橋奈七永)と組んだのも大きかったです。あとは赤いベルトを巻いたことかな? それまでは「誰かが何とかしてくれる」「自分は一生上には行けないだろう」と、自分の中で可能性を決めつけていたんですけど、立場が変えてくれたのかな。赤いベルトを獲ったこと、選手会長になったことで、やるしかない、しっかりしなければいけないと思うようになりました。今までは、自分の中に甘えがあったんじゃないかな。それからは、考えるようになりましたね。

――それで成長したんですね。

宝城:楽しくなっていきましたね。

――最初の入団当時と今とでは、プロレスに対する考え方は違った?

宝城:メチャクチャ変わっています。180度変わりました。今はお客さんを楽しませてやろうという感覚なんですけど、最初の頃は……憂鬱だったかもしれないですね。プロレスって痛いし、怖いし、大けがもあるし、死ぬかもしれないじゃないですか。ヨットは海の上で一人でやるものだったので、たくさんの人に四方に囲まれて見られることなんて初めてで、不安と緊張でまったく楽しめませんでした。見世物小屋のネズミのような、動物園の檻の中の生き物のような感覚で(笑) 大丈夫かな、やっていけるのかな、って思ってました。デビュー試合でも、入場で手足が同時に出たり(笑)

――運動神経は?

宝城:体育は常にトップの方でしたけど、戦いのスポーツ、殴り合いみたいな格闘技はやったことがなかったです。

――打撃や、技をかけられる経験はなかなかありません。

宝城:全部が初めての体験でした。

――そんなプロレスが、今はライフワークになっていますね。

宝城:生きがいですね。楽しいですし、プロレスを始めたからこそ、プロレスラーや関係者、ファンの皆さんとの数多くの出会いがあって、それが刺激になっています。プロレスを通して、誰かに勇気や希望を与える人間になりたいという夢が叶いました

――プロレスラーってそういう力がありますよね。元気が出ない時でも、頑張っている人の姿を見ると、自分もまた頑張ろうと思えてくる。プロレスラーは人に勇気を与えられる職業です。やられても立ち上がる姿は魅力で、特にカイリさんは絵になる方です。

宝城:私は天才ではないので、イオさんや麻優さんは受け身も技も凄いし、私の魅力って何だろうと悩んだ時期もあったんですけど、どんくさいからこそ共感してもらえるとか、こんな自分でもこうなれたんだよという希望になるのかなと思って。

――どんくさいんだなと思うことは?

宝城:マジでいっぱいありますよ(笑) 自他ともに認めるどんくささ(笑)

――たとえば?

宝城:ありすぎて……歯磨き粉と思ったら洗顔クリームで磨いてたり(笑)

――やっちゃいましたね(笑)

宝城:有名です(笑)

 

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