【大日本】登坂栄児社長が語る30年目の告白。関本大介退団の真意、“空白の10年”、そして未来へ託す魂

30年。一つの企業が、その看板を守り続けることすら困難なこの時代に、インディープロレス団体として、血と汗と涙の歴史を刻み続けてきた場所がある。デスマッチという過激なジャンルで一世を風靡し、ストロングBJという剛腕たちの系譜を築き、ジュニアという新たな可能性を模索し続ける。その団体の名は、大日本プロレス

その激動の30年を、経営者として、誰よりも近くで見つめ続けてきた男がいる。登坂栄児社長。その歩みは、そのまま大日本プロレスの歴史と重なる。

2025年3月、団体は旗揚げ30周年という大きな節目を迎えた。しかし、その直後、団体の象徴であった関本大介が退団。ファンに衝撃が走る中、登坂社長は何を思っていたのか。3本の柱の現在地、コロナ禍を経て見出した新たな価値観、そして初めて公に明かす、後継者を探し続けた「空白の10年」の苦悩。

その言葉の一つ一つに、30年分の重みと、未来への切なる願いが込められていた。

■30周年、その実感と秘訣。「一日一日を積み重ねた、諦めの悪さ」

――まずは大日本プロレス旗揚げ30周年、誠におめでとうございます。

登坂:ありがとうございます。

――30年という長い道のり、様々なことがあったかと思います。今、この節目に立って、どのようなお気持ちですか?

登坂:当然ですが、30年前に30年後のことなんて全く考えていなかったので、今も不思議な気持ちですよね。多分、今うちに入ってきている新しい若い子たちも、30年後のことなんて考えていないと思います。その、今の自分の状況に、当時の自分と重ね合わせると、本当にもう、がむしゃらでした。インディペンデントの団体でしたから、なおさら先のことを考えられる状況ではなかった。だから、本当に一日一日の積み重ねが、この30周年という結果に繋がったんだな、というのは実感としてありますね。

――一般的に、企業が10年続く確率ですら数パーセントと言われる中で、30周年というのは、とてつもない偉業です。特に大日本プロレスは、大手団体のような盤石な経営基盤があったわけではなく、まさに“下道を走り続けて”ここまで来られた。その30年を支えた秘訣のようなものは、何かあるのでしょうか。

登坂:実感としては、そんなに大層なものはないんです。でも、あえて言うならば…例えば、5周年を迎えた時、その前の4年間がしんどくても、「せっかくここまで来たんだから」という気持ちで乗り越えてきた。それが15周年、20周年の時も同じで、どんな小さなつまずきがあっても、「過去の15年を考えたら、こんなことで挫けちゃいけない」と。その、小さなつまずきを、過去を振り返ることで乗り越えてきた連続なのかな、とは思いますね。


©大日本プロレス

――「諦めない気持ち」が、ここまで団体を繋いできた、と。

登坂:どうでしょうね。それで周りに迷惑をかけてることもあると思うんですよ。僕らが諦めないから「もういい加減にしろよ」って思われてる部分も、きっとある(苦笑)。でも、結果だけ見れば、その諦めの悪さは、大切だったのかもしれませんね。

――30年前と今とで、ご自身のメンタリティに変化はありましたか?

登坂:最近は、あります。30代までは、ほぼなかったですよね。多分、バカだったんでしょう。失敗しても、何とも思わなかった。でも、最近は少し、プレッシャーを感じるようになりました。自分のキャリアの先が見えてきたことと、あとは、若い人たちに対しての責任感が大きいです。

今までは、自分と、ごく少数の仲間が何とかなれば、という気持ちだった。でも、今は19歳の子とかがいるので、その子の30年後、彼はまだ50歳手前で、僕はもう80歳を超えている。その時、僕はもう経営に直接関わっていないでしょう。そう考えると、この子たちの未来のために、今、何をすべきかというプレッシャーは、確かにありますね。

Pages 1 2 3 4

◆プロレスTODAY(LINEで友達追加)
友だち追加