【新日本】両国大会でアントニオ猪木さん10カウントゴングセレモニー、1.4東京ドームは追悼大会に。

新日本プロレスは10月10日、東京・両国国技館にて『超実力派宣言』を開催。

試合開始前、10月1日に79歳で死去した団体の創設者であるアントニオ猪木さん(あんとにお・いのき、本名 猪木寛至=いのき・かんじ)を偲び、10カウントゴングセレモニーが行われた。(現地時間10月1日に行われたイギリス大会でも実施)

試合開始前リングサイドに選手、関係者が集まり、リングには田中ケロリングアナウンサーが登場。スクリーンにて猪木さんの名場面の映像が流された。

そして、田中リングアナが「来年1月4日の東京ドーム大会を猪木さんの追悼大会とさせていただくことを決定しました」と発表した。

その後、リングに猪木さんの遺影を持った坂口征二相談役が上がると、追悼の10カウントゴングが打ち鳴らされ、田中ケロリングアナより「赤コーナー、燃える闘魂、190cm、105kg、アントニオ猪木~!」とコールされると、猪木さんの入場テーマ『炎のファイター』が流れた。

アントニオ猪木さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


▼燃える闘魂 アントニオ猪木 追悼VTR

■アントニオ猪木プロフィール
本名・猪木寛至。1943年2月20日、横浜市鶴見区生まれ。
14歳で家族とともにブラジルに移住。
1960年、力道山にサンパウロでスカウトされて帰国し、日本プロレスに入団する。1964年からアメリカで武者修行をし、
1966年、東京プロレスを旗揚げ。翌年、日本プロレスに復帰も、1972年に再度、新日本プロレスを旗揚げする。
「ストロングスタイル」を掲げ、異種格闘技戦に挑戦。
1976年にはボクシングヘビー級王者のモハメド・アリとの「格闘技世界一決定戦」を行う。1989年にスポーツ平和党を結成。
参議院議員選挙に出馬し、プロレスラー初の国会議員になる。
1998年4月、現役引退。2013年より2期目の参議院議員を務め、
2019年6月に政界引退。2020年2月に喜寿を迎えた。


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