【ジャイアント馬場】伝記絵本『うえをむいてあるこう』2.19発売、親族が込めたメッセージとは?

⑤命日(1月31日)には毎年SNSでトレンド入りする馬場さん

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――そして馬場さんのご命日の1月31日にはいつもSNSを通じて“ジャイアント馬場”や“馬場さん”というワードがトレンド入りしています。SNS上で馬場さんの写真や思い出をアップしたりして、25年経った今もトレンド入りしているという状況をどういう風に感じますか?

公俊さん 純粋にありがたいですよね。なかなか20年以上経ってしまうと、どうしてもちょっと忘れられてしまいますけど。いまだに25年経ってもSNSで名前を出していただいて、しかもトレンド入りってなかなかすることはないと思うので、ありがたいと思います。それ以上にやっぱり25年経ってもこういう風にトレンド入りする馬場さんは、改めて偉大だったなと。自分がそのような使命を受けたことは本当にありがたく感謝をもって仕事をより一層頑張らなくちゃと励みになります。


※写真提供:株式会社H.J.T.Production

――トレンド入りって本当にすごいことです。理咲子さんはどういう風に感じますか?

理咲子さん やっぱり叔母がよく言っていたのが、叔父が亡くなったあと、フォルム的にもいろいろな意味においても真似がしやすい部分ってありますよね。だからたくさんの方がものまねをされるんですけれども、やはり叔母としてみれば馬場さんを今の36、7歳以下は知らないとなった場合に、このものまねで馬場さんを知ってもらうのはすごく悲しがっていたんですよね。なのでこういう風にその当時のリアルなことをSNSという便利な媒体を通して、ご存じない方にも知っていただくきっかけ。それを写真とかでも「こうだったんだ、実は」というのを見ていただけるということではすごくありがたいです。そういうことを能動的、主体的に発しようと思われていることは本当にファンの方々、ありがたいなという思いでいっぱいになります。

――なるほど。本当にそういう部分ではご命日の日にそういう形でいつも上がってくるので、懐かしい写真とか拝見すると、ああ、いいなと。今回、日テレさんも70周年記念の大会をやられるので、馬場さんのアーカイブを動画もアップされていて、ハンセン vs ジャイアント馬場、ブルーザー・ブロディ vs ジャイアント馬場、ラッシャー木村さんとのも上がったりしていて。そういうのを見ると、すごく昔のワクワクが戻ってきます。馬場・猪木というBI砲が強豪外国人相手に大立ち回りして、それを倒していくという姿に日本のプロレスファンは一喜一憂していたわけですよね。馬場さん以上にスケールの大きいプロレスってなかなか見られないので、そういった時代を噛み締めていた人たちがたぶん出したくなる。そういう存在なんでしょうね。

理咲子さん 本当にありがたいです。

公俊さん そうですね。25年というのは本当に四半世紀。

――やっぱりすごいなと改めて感じます。今まで頑張ってきてくれたマスコミの方々が、映像媒体も含めて、そういうのがあるということが後世においても馬場さんの偉大なる歴史が語り継がれていくんじゃないかなと思いました。

 

⑥馬場夫妻との当時のエピソードなど

――続きまして、当時の馬場夫妻とのエピソードなどいかがですか?

理咲子さん 前は結構、恵比寿の家にアメリカのレスラーの方々を呼んで、叔母が手料理を振る舞うということをよくしていたんですよね。だから本当にファンクさんたちとかハーリー・レイスさんたちとかが見えたときに、お互いすごく信頼関係があって、だからこそ楽しんでいる雰囲気。それこそアメリカのザ・レスラーという方々も一夫、一父になりファミリーとしてというのがあると、それは叔父叔母がそういう空気感を出しているからこそ皆さんも安心して見えるのかなとか。あとはやっぱり2人は子供もいなかったからこそというか、同じビジネスを最高のものにしようというのがありましたし、馬場さんがどんな思いで全日本プロレスを立ち上げて、長い間にはもちろんいろいろなこともありますし。そのときに叔母がすごくサポートしているなと、すごくそれは感じましたね。だから何しろ叔父がいい状態でいること、そこに叔母はいつも大優先。そうじゃないものは姪であろうと何であろうと『いい加減にして、馬場さんがどうなると思うのよ!』と叱られました。だからこそ叔母がいろいろな悪役も買って出た。そういうことがあるから叔父も叔母へ感謝していることもあったんじゃないかと。あと叔父はすごく繊細な人でもありますよね。絵も描かれますし。すごくナイーブでセンシティブなところもあるので。面白いなと思ったのは、2人で一緒に出かけるときに、もちろん男性の叔父の方が早く準備できていて、いつもの定位置に叔父が座っていて。『もうちょっと待ってください、急いでいます』と叔母が向こうで言っていて。『馬場さん、お待たせしました。さあ行きましょう』と言ったら、叔父の服装と叔母が自分が着ているものが合わないと思ったらしく『馬場さん、ごめんなさい。また着替えてきます』と言っていたくらい、2人で一緒にいることを全体としても美しくあろうというか、そういうことを考えていたかなと。

――もう1回着替えてくる、と言われたときの馬場さんの心境はどうだったんですかね(笑)

理咲子さん どうなんでしょうね。

――早よせいよ、という(笑)

理咲子さん これ以上、待たせるのかよと(笑)

――男性は結構早いので、女性はやっぱり化粧だとか、こだわりがありますよね。

理咲子さん でも叔父はネクタイ1本選ぶのにもすごくこだわりますからね。すごくおしゃれというか、こだわります。本当に。

――改めて年月が経って周りの皆さんのお話も伺ったりすると、いろいろなところから元子夫人が馬場さんを守っていたというところが、愛情の深さみたいなものをすごく感じました。そういった部分がジャイアント馬場という存在を2人で作り上げていた気がしますね。

理咲子さん そうかもしれませんね、本当ですね。

――ジャイアント馬場さんが当時、世界最高のNWA王者に就くことって、とてつもなく難しい時代だったと思うんですよね。日本人が天下を獲ったという部分だと思うんですね。大谷翔平選手がメジャーリーグで世界最高の選手だと言われたのと同じような偉業を、プロレス界においては実は馬場さんが達成されていたというのが、僕はそれは改めてすごい功績としてみんなに知ってほしいなと思います。

 

⑦出版記念特別イベントにスタン・ハンセンさんが来日

――そして今回、出版記念特別イベントにスタン・ハンセンさんが来日されるということで、どんなイベントになりそうでしょうか?

公俊さん 3月10日に伊豆市の市民文化ホールで出版記念イベントを行うんですけど、2部構成となっておりまして。1部では馬場さんとの出会いでしたり、ご自身のレスラーとしての振り返り。2部に関しては家庭人としてスタン・ハンセンさん。旦那さん、お父さん、そして今、祖父となられて。現役時代に、全日本プロレスで1か月以上巡業で、日本人の奥様ユミさんを日本に残しておられたという部分で、そのときにどんな旦那さんであったり、息子さんから見てどんなお父さんだったのか。今回、奥様のユミさんや息子さんのシェーバーさんもいらっしゃるので一緒に出ていただくことになりました。

――公のイベントに奥様やご子息が出られるのは、もしかして初めてでは?

公俊さん そうですね。どうしても今までレスラーとしてのハンセンさんということが多いと思うんですけど、親子で出演されて、どんなお父様だったのか。お父さん、息子の共演であるので嘘をつけないと(笑)。そういうちょっとオフな1面も知るきっかけになるのが、なかなか面白い内容になっておりますので。

――そういう部分は全国のファンの人たちも聞きたいような内容になりそうですね。ちなみにハンセンさんの奥様が日本人だということを一部の方はご存じだと思いますけど、殆どの方はあまり知らないとおんぃますが、ハンセンさんは日本語は全然しゃべらない感じですよね?

公俊さん 日本語はそうですね。日本にお住いの時期もあったんですけど。長男とか、昨年次男の方もいらっしゃったんですけど、何となく分かったりとかはあるんですけど。ハンセンさん自身は全然。

――ハンセンさんはあれだけ長い間日本を主戦場にしていましたが日本語は、全然聞く機会がありませんでした。

公俊さん そうですね。ドリー・ファンクJr.さんとかは結構日本語、スピーキングはできないですけど聞いたりとかは何となく分かったりするんですけど、ハンセンさんはそこまで。

――そういうハンセンさんが今回のイベントもそうですし、他にもいろいろなイベントにも出られます。ハンセンさんの人生も振り返られるイベントになるということで非常に楽しみだなと思います。

 

⑧皆様へのメッセージ


※この時、馬場さんの膝の上にいるのは公俊さん

――では最後に今回の出版記念、ジャイアント馬場さんの偉大なる足跡を改めて知ってもらうための絵本でもあると思いますので、ファンの皆さんにメッセージをお願いいたします。

公俊さん 今年がジャイアント馬場没25年という節目の年でもあるんですけど。絵本を出版することができて、本当にいろいろな方にご協力いただいて感謝しております。絵本を通して、先ほどお話をしましたけどお子様だったり、あと大人の方も振り返ったりとか。なかなか馬場さんを知っていてもプロレスラーで止まっている方も多いと思うので、そういった方々もぜひ読んでいただいて、馬場さんはこういう人生だったんだよと。体が大きいから全部うまくいったというわけでもないですし。新潟県三条市という田舎から生まれて世界のヒーローになられた方、こういう人生を歩んできたんだという部分をぜひとも知っていただければ。そして1人でも多くプロレスに興味を持って会場に足を運んでいただければ嬉しく思います。

――ありがとうございます。では理咲子さん、お願いいたします。

理咲子さん まずこのタイトルにさせていただいていますように、『うえをむいてあるこう』。みんな、いろいろなこと、今は特に負荷がかかることも多かったりストレスも多い時代ですけれども、まさにそうであったとしても上を向いて歩こう。最後の裏表紙のところには上を向いて歩こうの歌詞も載せていただいているので。本当に何かがあったときに上を向く。そしてジャイアント馬場、馬場正平さんが作り上げた全日本プロレスの「明るく楽しく激しいプロレス」ということにおいて、まさに自身の人生も明るく楽しく激しく生きられたかなと思うので。私たちもこのジャイアント馬場、馬場正平という1人の生き様を通して、自分たちもできれば常に明るく楽しく激しく生き、何かあっても上を向いて歩いていきましょうと。プロレスファン、そしてこれからプロレスファンにおなりくださる方も、絵本を通して、初めて知った方にもそういう風に感じていただけたらいいなと思います。

――本日は素敵なお話をありがとうございました。

公俊さん ありがとうございました。

理咲子さん ありがとうございました。お世話になりました。

インタビュアー:山口義徳(プロレスTODAY総監督)

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