【SSPW】間下隼人「タイガーマスクにはなれなかったけど、僕だって“虎”なんだ」新弟子時代からの過酷な半生を激白!

【決戦直前!レジェンド王者間下隼人インタビュー】

3・21 SSPW後楽園ホール大会でのアレクサンダー大塚戦に必勝宣言!

「タイガーマスクにはなれなかったけど、僕だって“虎”なんだ」新弟子時代からの過酷な半生を激白!

 3月21日に後楽園ホールで開催される『初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.28』にて、アレクサンダー大塚とレジェンド選手権をかけて3度目の防衛戦を行う間下隼人に話を聞いた。

初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.28
■開催日時:2024年3月21日(木)開場:17時30分/試合開始:18時30分 
■会  場:後楽園ホール

《メインイベント レジェンド選手権試合 60分1本勝負》
[第17代王者]間下隼人(ストロングスタイルプロレス)
vs
[挑戦者]アレクサンダー大塚(AODC)

 現在、初代タイガーマスク率いるストロングスタイルプロレス(SSPW)の至宝たるレジェンド王座を戴冠しているのは、“初代タイガーマスクの二番弟子”間下隼人。

 間下は長年に渡って兄弟子であるスーパー・タイガーを超えることが出来ず、デビューから約16年もの間“二番手”としてくすぶり続けていた。しかし、昨年2月にはついに殻を破って団体の至宝・レジェンド王座を戴冠。将軍岡本、そしてRIZIN等でも活躍する柔術家・関根“シュレック”秀樹を倒して王座を防衛するなど新たな団体の顔として驀進している。

 3月21日に迫る後楽園ホール大会では、間下が3度目の防衛戦としてアレクサンダー大塚を迎え撃つことが決定。

 アレクは第3代レジェンド王者であり、間下にとっては初めてとなる同王座戴冠歴のある選手との防衛戦。2月16日川崎大会ではアレクが間下から直接フォールを奪って挑戦権を勝ち取っており、間下にとって連敗は許されない相手だ。

 しかし、アレクは単なる挑戦者ではなく、特別な思いのある選手だと間下は語る。

 今回のインタビューでは、『モーニング娘。』の追っかけに過ぎなかった間下青年が地獄の道場生活を経て“初代タイガーマスクの二番弟子”になるまでの半生を振り返り、アレク戦に向けての想いに迫っていく。


■「ベルトの為なら親指一本くらい安いもん」「今朝も脱臼した」――レジェンド王座のために “人生”をかける間下の覚悟と、アレクサンダー大塚への想い

――まず、間下選手にとってアレク選手はどのような選手なのでしょう

「実は、僕がプロレスラーとしての道を歩みだしてから本当にすぐにお会いしてる方なんです。自分は2006年9月15日に入門してるんですけど、9月20日にSSPWの後楽園ホールがあって。そのときにアレクさんが出てらっしゃって、佐々木日田丸さん……当時は佐々木恭介さんとの試合でしたね。挨拶の仕方も分からない状態で、続くか続かないかも分からない練習生だった自分に挨拶を返してくれて、『佐山先生の弟子としてやっていくのは大変だと思いますが、頑張ってくださいね』って言ってくれたのをすごく覚えてるんです。だから、僕にとってキャリアのホントに最初の最初から関わりのある方ですね」

――そんなアレク選手と王座をかけて闘うことになるとは当時の間下青年も思わなかったでしょうね

「ホントそうですよ。あのときは『本物のアレクだ!』って心の中ではしゃいでましたし(笑)アレクさんはプロレスラーとして総合格闘技界に先陣を切って出て行って、PRIDEに出たときもマルコ・ファスを倒して結果を出した方じゃないですか。僕は高田延彦戦がすごく好きで、結果としては負けでしたけど、プロレスラーとしての意地が見えた試合だったことを鮮明に覚えています。そういう人と巡り巡って僕がチャンピオンとして闘う日が来るのは感慨深いです。僕なんか絶対続くと思われていなかったと思いますし、僕自身もここまで残れると思ってなかったんで(笑)。少し離れていた時期こそあれど、SSPWの旗揚げから参戦されている方っていうのは多分アレクさんだけだと思うんです。僕も定期的にアレクさんと闘わせていただいているんですけど、1回も勝ててないんですよね。シングルは今回が初めてですけど、しっかり僕が超えていかないといけないと思います」

――アレク選手は約29年のキャリアを持つ大ベテランです。レジェンド王者として、文字通りのレジェンドを打ち倒していくことも使命なのかもしれません

「レジェンドと言えば、アレクさんと闘った中で覚えてるのが先生(初代タイガー)が長州力さん藤波辰爾さんと一緒にやってらした『LEGEND THE PRO-WRESTLING』興行でアレクさんとよく対戦した記憶があります。(僕が)まだ体重も軽かったんで、ジャイアント・スイングでメチャクチャ振り回されてたな(笑)」

――今年2月の川崎大会では、アレク選手にジャーマン・スープレックスを食らって直接敗れています

「僕、シュレックさんにもジャーマンで負けてるんですよ。ジャーマンに弱いのかな……?シュレックさんとは違うジャーマンって感じがしましたね。アマレスのジャーマンと、柔術のジャーマンって違うんだろうな。こういう風に(※上に放り上げるように)投げられたんでキツかったっすね。その前のネックロックで意識無くなりそうなくらいにキツかったってのもあるんで、アレにも気をつけたいですね。ジャーマンの他にも、ドラゴン・スープレックスとかタイガー・スープレックスも使われていた記憶があるんですけど、タイガー・スープレックスだけは食らう訳にはいかないですからね。序盤戦も、レスリングから始まる試合が僕は得意ではないので。対応はできると思うんですけど、あの身体で攻めて来られると厳しいのかなって気はしますね。元々のバックボーンがしっかりされている方なので。本人は『雑草魂』とか言ってますけど、アレクさんが雑草だったら僕なんか焼け野原ですよ(笑)ぺんぺん草すら生えてないところから這い上がってきてるわけですから」

――アレク選手も、25周年時の船木誠勝選手との初シングル(2020年12月17日)で試合序盤に蹴りを受けて左腕を骨折しながらも闘い抜きました。あの気迫がアレク選手の強さなのかもしれません

「アレはヤバかったですね。あの瞬間、音が違ったんで『あっ、折れた』ってみんな同時に察したのを覚えてます。僕も1年前に真霜拳號さんとやってベルト獲ったとき(2023年2月22日)に試合中に真霜さんの蹴りを受けた親指が折れちゃって。そのままずっと試合を続けているんで実は今も治ってないんですけど……」

――今も右手親指をテーピングでガチガチに固められていますが、その怪我のせいでしょうか

「あぁ、これは今朝脱臼しちゃっただけです」

――今朝?!そんな「ちょっと転んだ」みたいな気軽さで脱臼を?!

「ちゃんと治さないまま、っていうか欠場とかもせず折れたままずっと続けてるんで。試合の度に亜脱臼を繰り返してるんで、すぐ取れちゃうんですよね」

――ちなみに、怪我の詳細はどのようなものだったのでしょう

「右母指CM関節内粉砕骨折、中指骨骨折、右母指靭帯全断裂、右母指脱臼って、一発で4つヤっちゃって。試合のときは『あっ、脱臼したな』くらいの感覚だったんですけど、終わったあとに近くの病院行ったら『ウチじゃ無理なんで大きい病院行ってください』って言われて。たまたま最寄りの大きな病院に日本に何人かしかいない指の専門医の先生がいたんです。そしたら『即手術です。引退も考えてください』って言われて。でも、僕の地元の福岡凱旋大会(2023年3月18日)が決まってたんで『それが終わるまでは手術できないです』って言ったら、『なに言ってんだコイツ』みたいな顔されましたね(笑)それで、指グッチャグチャのまま福岡でも勝って、帰って手術して、リハビリもそこそこに練習を再開してって感じでした。バーベキューみたいにされてて。串刺しみたいになってたんすよ。こんな感じです(※レントゲン写真を見せる)。これをグリグリ回しながらリハビリするんで死ぬほど痛かったですけど、仕方ないっすよね。プロレスラーなんで」

――完治の目処は立っているのでしょうか?

「無いですね。一生このままだと思います。指の中のボルトが折れて5mmくらいチタンが残っちゃってるんですよね。骨の中に埋まっちゃってるんで、取るなら骨ごと抜き取らないといけないみたいで。そんな手術したら1年や2年じゃ戻れないんで無理やり続けてて。まあ、それくらいしないと獲れなかったベルトなんですよ、僕には。親指一本くらいだったら安いもんですよ」

➡次ページ「8時間かけて10,713回スクワット」「犯罪に巻き込まれてホームレスになった」へ続く

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