【日高郁人&青木いつ希インタビュー】4年4ヶ月ぶりに島根県に凱旋し『ご縁の国しまねツアー』を開催!
【インタビュー】日高郁人&青木いつ希が4年4ヶ月ぶりに島根県に凱旋し『ご縁の国しまねツアー』を開催!
絆の力で“父娘”となった2人が故郷の子どもたちに「夢への距離は遠いものじゃないって実感して欲しい」とメッセージ!
3月23日に島根県・益田市民体育館で開催される『ご縁の国しまねツアー2024益田大会』について、日高郁人&青木いつ希に話を聞いた。
『ご縁の国しまねツアー2024益田大会』
日程:2024年3月23日(土)開始:18:30
会場:島根県・益田市民体育館
主催:株式会社ショーンキャプチャー
日高は1997年に格闘探偵団バトラーツでデビュー。その後は数多のリングを転戦し、長年ZERO1に所属して活躍。2020年には自身の経営する株式会社ショーンキャプチャーの経営に専念するために独立し、現在はショーンキャプチャー所属のレスラーとしてメジャー・インディーを問わず数多の団体に参戦中。バチバチファイトからコミカルな役回りまで一線級の実力を持つ頼れるベテランだ。
青木は2017年に大阪の社会人団体・ジャパンプロレス2000でデビュー。全くプロレスラーになる気が無かった青木は数奇な運命に巻き込まれて選手としてデビューすることとなるが、その元気と笑顔溢れるファイトで高い人気を獲得。現在は数多の女子団体でタイトルに絡む活躍を見せている。2020年からは日高率いるショーンキャプチャー所属となり、さらに活躍の場を広げた。
2人はともに島根県出身。
日高は2011年に、青木は今年2月に島根県のふるさと親善大使『遣島使』に就任。師弟ともに島根県を代表するレスラーとなり、島根県の魅力を伝えている。
島根県を代表するプロレスラーといえば全日本女子プロレスで活躍した“飛翔天女”豊田真奈美さんがいるが、豊田さんは『ご縁の国しまねツアー』の最高顧問も務めている。
また、日高は豊田さんから必殺技であるジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスを継承。青木も同技をアレンジした変形バックドロップを伝授されるなど後継者的な扱いも受けている。
この『ご縁の国しまねツアー』(益田大会)は日高がバトラーツ時代から開催していた大会だが、2011年からは日高自身の手で島根県の協力・後援を得て行われるように。
小中学生以下は入場無料での開催を続けるなど、島根の子どもたちにプロレスと出会うキッカケを届けている。
コロナ禍の影響もあって開催が途絶えていた『ご縁の国しまねツアー』だが、今回は約4年4ヶ月ぶりに復活。今大会の成功に向けて奔走する2人に話を聞いた。
■「夢への距離は遠いものじゃないって実感して欲しい」――島根県の子どもたちにプロレスを届ける『ご縁の国しまねツアー』のテーマと、故郷凱旋大会への思い
――まずは、この『ご縁の国しまねツアー』の大会コンセプトを教えてください
日高「元々最初は僕が格闘探偵団バトラーツでデビューして、そこでもデビュー2年目から益田大会を行ってましたし、昔のZERO1時代も最初のうちはZERO1の地方興行で凱旋興行の一環として行っていたんです。そこから自分でやろうと思って株式会社ショーンキャプチャーで開催するようになったんですけど、出雲大社からちょっと先に行ったところに稲佐の浜ってところがありまして。神話の話で、10月を神無月っていうのを、出雲地方では“神在月”って呼ぶっていう。そのときに神在祭っていうのがあって、神様が海の中から上ってこられて出雲大社まで歩かれるというのが神在祭で旧暦の10月10日に毎年行われるんですけど、その浜でやりたいと思って2012年にリングを浜に組んで試合したことがあったんです。その年の秋から私の会社主宰で島根の大会をやるようになりました。
自分の生まれ故郷で今の自分を見てもらうとか、凱旋興行として年に1度のお祭りで帰るんじゃなくて、東京で闘っているありのままの日高郁人を、田舎から出てきた日高郁人を見て欲しいなと。コンセプトとしては、『東京でやっているものをそのまま地元に持ってきたい』というのがあります。その時々にやっていた流れのままのカードを組んでやってきていました。
もう1つは地元の人に対して、『この田舎から出てきた日高郁人はこうやってプロレスラーとしてやってるんだよ』ということを見て欲しいなと思って。子どもたちには近い存在というか、地元から出た先輩が活躍している姿を見てもらって、『夢への距離は遠いものじゃないんだ』って実感して欲しかったというのが僕の中のコンセプトですね。なので、毎年大会の前には各市の教育委員会さんを通じて学校の方で出前授業、講演をして、そこの子どもたちと一緒に運動して汗を流すと、そういことをやってきています」
――この大会は島根県の後援を受けていると聞きましたが、これは珍しいことだと思います
日高「僕の地元の益田市に萩・石見空港っていうのがあって。これは県の施設なんですが、萩・石見空港利用促進協議会さんからの協賛もいただいています。今回は大会が行われる益田市と教育委員会からも後援をいただいています。県から後援をいただいているプロレス大会っていうのもそう無いと思うんです。今回は4年4ヶ月ぶりなんですよ、コロナ禍の間やれなかったから。最後やった2019年も県の後援とか市の後援とかでお願いをして回ったときと担当者も変わってたりしたんですけど、皆さん知っていてくださって『日高さん、いつもありがとうございます』『いつも島根県のPRありがとうございます』とか言っていただいたりしてスムーズに事が運んだので。青木いつ希の遣島使就任を推薦したときもそうだったんですけど、すべてがスムーズに進んだことが何年もやり続けてきた成果かなと思いますね。県に認めていただくプロレス大会としてしっかりやっていきたいですね。今まで僕が所属していたZERO1には岩﨑永遠っていう江津市出身の子が後輩として入ってきて一緒にやってくれてましたけど、永遠も独立して、青木が来て。今までと形が違いますけど、青木と2人で色々動きやすい部分があります。僕は今まで続けてきたことに対して応援してくださる皆さんが、これからは青木いつ希を応援してくださるように、僕は自分の活動を通じてこの青木いつ希を島根県の皆さんにアピールして行きたいと思っています」
――日高選手から愛されていますね!
青木「ふふふふ、現時点で唯一の後継者なので(笑)」
――青木選手はデビュー前にファンとして地元でこの大会を見ていたのでしょうか?
青木「…………(※気まずそうに笑いながら目をそらす)」
日高「それがね、見てないんですよ(笑)」
青木「見てないんですよぉ~(笑)存在は知ってたんですけど、正直あんまりZERO1の選手の方々を存じ上げなくて。島根県益田市出身の日高さんっていう、髪の毛が金色のツンツンの怖い人がいるってことはなんか知ってました(笑)参戦する側としては、所属前からさせていただいてます。ショーンキャプチャー所属としては、今回が初めてですね」
――そんなお2人が知り合ったキッカケはどのようなものだったのでしょう
青木「自分は大阪で2017年にデビューしてるんですけど、その頃から島根県浜田市出身っていうのを言っていて。2年目か3年目くらい……」
日高「2年目だね。2018年」
青木「自分がまだ大阪に住んでいた頃なんですが日高さんが知人の方に『大阪で島根県出身の子がデビューしたって聞いたんですけど知ってますか?』って聞いてくださったみたいで、その方がちょうど自分がお世話になってる方だったんです。『青木でしょ?知ってるよ~』って紹介していただいて。そのとき初めてお会いしました」
――その当時は師弟で島根県に凱旋することになるとは思っていなかったですか?
青木「いやぁ~、あんまり思ってなかったんです。で日高さんも島根での活動をして行くにあたって島根県出身者が増えて欲しいなと思ってる中で、私が島根県出身、更に石見地方出身者というのもあって『オレが面倒みようか』と言ってくださったんです。島根県民ってなんかとっても仲間意識が強くて、出身地方まで近いと余計にですね。それに私も島根県のことが本当に大好きで島根県での活動もしていきたかったんですよ。日高さんが毎年大会をされているのも知っていましたし、島根でも試合がしたいし、県庁訪問とかもされていたので。島根県での活動をしたいって考えたら、日高さんの元にいるのが一番だなって思ったので、それで『お世話になりたいです』と言わせていただいて」
日高「僕側からの目線で話すと、『浜田出身の子がデビューしたんですよ』って聞いて、知人を通じて会わせてもらって。それが社会人団体って聞いて、思ったことがあって。僕自身が新弟子をやって、みっちりスパーリングやって鍛えてもらってからデビューしているのでプロレスラーの出処は重要視しているところがあって。島根って横に長くて、出雲地方と石見地方に分かれてるんですよ。それで同じ石見地方の子がデビューしてる以上、やっぱり“本物”にしてあげたいなって。余計なお世話だったかもしれないですけど。島根の大会に出るなら出るで、“本物”のプロレスラーとして故郷に錦を飾ってほしいと思ったんです。でも、そのとき青木はまだ学生だったんでね。学校の卒業を機に、ショーンキャプチャーに来てもらうことになって。それで2020年4月1日付で入って。コロナ禍の中でこっちに来たので、今回ショーンキャプチャーの所属として島根に帰るのは初めてなんです。錦、飾って欲しいですねぇ~」
➡次ページ「島根県にゆかりある技でどんどん勝って名前を広めていきたい」へ続く