OGシャーク土屋のプロレス人生 いじめられっ子のお嬢様から大ヒールへの大変身


写真:新井宏「撮影協力:ノースウエストルート162ブロックビレッジ」

 ヒールを貫いてきた土屋だが、病魔におかされリングを下りることになってしまう。2015年8月に糖尿病で入院し、右脚が義足に。乳がんも患い、16年11月24日に超戦闘プロレスFMWで引退セレモニー。引退試合はおこなっていない。

 が、昨年7月9日、FMWEの鶴見青果市場に前泊とともに参戦。「猛毒隊ラストリング」と銘打ったタッグマッチで相手を血だるまにしてみせた。遅れてきた事実上の引退試合と言っていいだろう。

「よしかが最後だっていうから、ちょっと上がってみた。凶器使って暴れてたらゴング鳴らされて(反則負けで)終わっちゃった。あっという間にね」

 最後までらしさを貫いた土屋。いまでもときどきプロレス会場に足を運ぶらしい。おもな目的は「団体の礼儀を見るため」と、「終生のライバル工藤めぐみ(現ゼロワンGM)」の健在ぶりを確認するためだ。

「飛鳥さんや沢井さんと組んで闘うのは、それはそれですごい楽しかった。でも、ヒールって倒しがいのあるベビーがいないとおもしろくないんだよね。病気をしなければいまでも現役でやってるだろうけど、工藤がやめてからはあまりおもしろいことがなくなってしまったというのが本音。工藤に匹敵するベビーなんて現れなかったし、いるわけないでしょ。いまでも自分にとっては工藤めぐみが一番だし、女子プロ界で一番かわいいのは工藤めぐみ。だからこそやりがいがあったんだよね(笑)」


写真:新井宏「撮影協力:ノースウエストルート162ブロックビレッジ」

 最高のライバルに出逢えたことで、土屋はシャーク土屋としてプロレス史に名を残した。では、土屋にとってプロレスとはなんだったのだろうか?

「プロレスとは、自分を一番出せるものかな。自分自身が出せる、自分の好きな場所。自分の名前がついた場所だよね。『土屋家のお孫さん』じゃなくて、シャーク土屋になった場所。名前で呼ばれることのなかった自分がプロレスラーになり、シャーク土屋になった。子どもの頃はずっと遠慮して、いじめられても誰にも言えず、あれ言っちゃいけない、これやっちゃいけないって閉じこもってた。その反発でシャーク土屋になったら、やっちゃいけねえことなんてありゃしねえだろとか、誰もやってないことやってやろうと思えるようになった。ヒールのメイクをしたら誰にも遠慮しなくていい場所、それがプロレスだったんだよ。そして、それが本当の自分だと気づいたんだ」

インタビュアー:新井宏

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