【編集長コラム】「ブチャーの”フォーク”ダンス」

大日本プロレスのデスマッチBJで存在感を発揮するアブドーラ・小林。リングを離れれば、旺盛なサービス精神と愛嬌ある表情、振る舞いで人気を集めている。

小林のリングネームは〝黒い呪術師〟アブドーラ・ザ・ブッチャーにあやかったもの。ブッチャーはその風貌、凶器のフォーク、地獄突き、毒針エルボー・・・何もかもが凄まじいインパクトだった。

特に、1970年代後半、全日本プロレスのオープンタッグ及び最強タッグで〝アラビアの怪人〟ザ・シークと組んで臨んだファンクスとの抗争は忘れられない。テリーの腕にフォークを突き刺す姿は強烈で、当時プロレスをよく知らない人にもブッチャーの名前は浸透していた。

ブッチャーは悪党だったが、シークやタイガー・ジェット・シンとは違い、子どもに人気があった。くりくりした目に甲高い声、丸い体型、左右にお尻を振って歩く姿・・・何とも言えない愛嬌があるからだろう。今で言えば「ゆるキャラ」だ。

リングを降りれば陽気で優しく、恐る恐る「写真を一枚お願いします」と声をかけたファンに「何で一枚なんだい。何枚でも撮ってくれよ。一緒に撮ろうよ。俺はOKだぜ」などと、ユーモアたっぷりにおどけていた。

今は亡き、ジョー樋口レフリーに連れられ、ブッチャーが六本木のディスコを訪れたことがある。当時はディスコ全盛期。しかも週末の夜で、ダンスフロアはとても混み合っていた。

ブッチャーの巨体は目立ち、あちこちから「ブッチャーだ」の声が飛んだ。さながら満員電車だったのに、ブッチャーの周りだけドーナツのような空間ができた。しばらく遠巻きにブッチャーを見つめる人々。

一人取り残されたブッチャーは、一瞬寂しそうな顔をしたが、レーザー光線の元、すぐに大きなお尻をプリプリ振りだした。それはそれは楽しそうに陽気に踊りだした。

その姿に、安心したのか徐々にブッチャーの周りに人が集まって来る。

笑顔のブッチャーは、持ち前のサービス精神からか、ズボンに隠し持っていたマイフォークを取りだすと、かざしながら踊り始めた。

「キャーッ!」。悲鳴が響き渡り、クモの子散らしたように逃げる客。ビックリして尻もちをつく黒服。マイフォークを持ったまま、フロアに一人取り残されるブッチャー。回るミラーボール、変わらず流れる陽気なディスコサウンド・・・とてもシュールな光景がそこにはあった。

寂しそうに「アローン・・・」と言いながら席に戻ったブッチャーは、マイフォークで食事を始めた。「みんな喜ぶかと思って、フォークを持ってダンスフロアに出たんだけど・・・失敗だったね。スプーンなら良かったかな」。目をくりくりさせながら苦笑するばかり。もちろん凶器として使用するつもりはなく、ちょっとした遊び心だったらしい。

今では懐かしいマイフォークを持って踊るブッチャー。まさに「フォークダンス」だった。

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