【編集長コラム】「追悼 ”熊殺し”ウィリー・ウイリアムスさん」

「熊殺し」ウィリー・ウイリアムスさんが亡くなった。1980~90年代、日本のファイトシーンで、その勇姿を披露していた。

アントニオ猪木とウィリーさんが激突した「格闘技世界ヘビー級選手権」(1980年2月27日、東京・蔵前国技館)は、世間を巻き込んだ闘いだった。

会場はピリピリとした緊張感に包まれ、皮膚が切れそうな感覚。蔵前国技館のあちこちで、プロレスファンと空手ファンの小競り合いがぼっ発していた。

「新日本vs UWF」、「新日本vs国際軍団」など、さまざまな対抗戦があったが「あれほど殺気立った会場はなかった」と、今でも語り草だ。

試合当日だけではなく、試合前にもいろいろな場面で「プロレスvs空手」のぶつかり合いが多発していた。

新日本プロレスの若手だった・平田淳二(現・淳嗣)は、飲食店で相席になった空手家のグループに絡まれ、罵詈雑言を浴びせられたが「ここで自分が暴れては、猪木さんに迷惑がかかる」と、グッと我慢を決め込んだ。

しかし、連れの友人に危害が及びかねず、ついに堪忍袋の緒が切れた。テーブルの向かい側にいた空手家の胸ぐらを、無言でつかみ上げ、自分の横に座らせた。あまりのパワーに恐れをなして、空手軍団は去って行った。

子どもたちも学校で闘った。プロレスファンが空手道場に通う子どもに「ゴッドハンドは手で瓶を開けられる」と絡まれた。「レスラーだって瓶を歯で開けられる!」と応戦する。

とうとう掴み合いからケンカに発展。加勢する生徒も次々と加わり、学校中が大騒ぎになった。結果はプロレスファンの勝ち。しかも女子生徒。「プロレスの勝ちだな」と、レフリーのようにその生徒の手を上げた先生も、蔵前国技館に駆けつけた。

新日本プロレスの道場や極真空手の道場に、互いに殴り込みをかけ大乱闘に発展していた。SNSの発達していない時代ではあったが、全国から物騒な話題が数多く聞こえて来た。PTAが問題にするなど、世間を巻き込んだ世紀の一戦となり、大いに盛り上がった。

決戦当日は「グラン浜田vsベビー・フェイス」など、通常のプロレスファイトも繰り広げられたが、会場全体の空気は張りつめ、あまりの緊張感に失神するファンも続出する。試合後はグッタリして動けず、座り込み、係員に支えられ会場を後にする人たちの姿も目立った。

セコンド同士はもちろん、ファンも客席で闘っていた。手を出す者、声の限り応援する者、両手を合わせて拝む者、応援する側が劣勢の時には顔を覆って正視できない者もいるなど、何とも凄まじい光景があちこちで見られた伝説の試合だ。

千葉・鹿野山で虎が逃げた時、ウィリーさんが探しに行ったというニュースを見た時は「今度は虎殺しか!」と、色めきだったものだ。


※ジグザグジギー宮澤聡氏所蔵のプロレスカード

晩年は木彫り職人として活躍しながら、後進の指導をしていたウィリーさん。実は動物と闘うのは本意ではなかったかも知れない。アメリカの男の子のぬいぐるみの人気ナンバー1は、熊のぬいぐるみだと聞いたことがある。今頃、天国で熊と仲良くしているのではないだろうか。安らかに。合掌。

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