【ジャングル叫女インタビュー①】レスラーになるまで~セネガルとハンマー投げと私~

<青年海外協力隊で西アフリカのセネガルに2年>

――青年海外協力隊で発展途上国で2年過ごされたということで、青年海外協力隊に行こうと思ったきっかけは?

叫女「中学生の時に飢餓の子供たちが苦しんでいるというよくあるTVを見てて、その時にタカかワシ?のような大型の鳥が少年が死ぬのを待っているですよ。その写真が有名なんですけど。その子が死んだ後に喰らうつもりなんですけど。その子が息絶えるのを待っている写真があって。それを見た時に日本ってめっちゃ恵まれているなと。自分がこのまま日本にいたら、そういう国で苦しんでいる子達を一生知らずに生きていく…まぁそれでもいいんですけど、自分が実際にそこに足を運んで、そういう国がある、日本以外には恵まれない国でも一生懸命生きている、そういう人たちがいることを知っときたくて。早い段階で。だからその位の時に20代で青年海外協力隊に行こうっていうのを中学の時に思ってました」

――中学の時に

叫女「普通に行ければいいんですけど、お金もかかるし、青年海外協力隊は応募して連れてってもらえるということで。いいなと。青年海外協力隊員として行きたいなと中学の時に思っていて。高校の時にもずっと思ってましたし、大学進む時に体育大学にスポーツ推薦で入れたので、体育の先生にと教員免許をとろうと思って、で教員免許をとった時に、あっ青年海外協力隊になるなら今だなって応募したんですけど。色んな項目があって。その中で資格がある人はその資格がある項目に行くんですけど、体育教師があったんで。自分はその教員免許をとったから自分が学んできたことで何かできればいいかなって。それで合格して、すぐに卒業した年に行けたので」

――実際行ってみてどうでした?イメージ通りでした?

叫女「全然違いました。基本、ボランティアとかそういう国に赴く人って自分の力でその国の子たちを変えたいとか、そういうつもりで行くじゃないですか。日本が一番医療も発展しているし、教育も進んでるって思ってたし、自信を持って行ったんですよ。なんですけど、向こうには日本の教育は全然あっていなくて、そもそも環境が違うから。気温50度の所で外で運動できますか?はだしだよみんな、みたいな」

――気温50度なんですか?めっちゃ暑いですね

叫女「はい。勿論、靴とかもないから。体育館もなくて。そういう所で運動できるの?って言われて。そうだよなって。そういう環境もあって、全然体育も普及してなくて。子供たちは運動神経いいのに、身体能力高いのにそれをうまく発揮できない。体育の授業がないからっていうのが見えてきて…この国にあった運動って何だろうっていうのをその国の教員の人とかと考えたりして。だから最初は『なんだ、この小娘は。日本から来て』みたいな感じで全然言うことを聞いてくれなかったんですけど、自分が向こうの現地の人に寄り添って、そこに合った運動っていうか、教育とか一緒に考えて、やることによって、これがいいねっていう形のものになっていったし、この人は『環境であるもので』ちゃんと考えていたので、なんか違ったなと思いました。自分で変えたいと思うのはエゴっていうか偽善なんだなというのを感じました」

――でも学びが多かったっていうことですね

叫女「行かなければ絶対気づけなかったことなので。絶対これが正しいというのもないし、変わることが全てじゃないんだなと一番その時に学んだかなと思います」

――2年は長いと思います。1年という区切りで帰らずに2年いったのはなぜでしょう?

叫女「青年海外協力隊の期間がきっちり2年なんですよ。途中で棄権というか危ない目に合ってという例外はありますが、私の友達は中米にいった子が、銃声が家の近くで聞こえて『こんなところにはいられない』と危なくて途中で帰った子もいるし、大きい病気になっちゃって…衛生環境が良くないので帰った子もいました」

――セネガルに行ってトイレやお風呂など違う環境で女性として大変だったのでは?

叫女「凄い大変でした。1人だし、日本人がいない町だったんですよ、自分は。『開拓しろっ』て言われて入ったんで、本当に日本人は誰もいない。言葉も通じない、文化も違う中にポンと入れられて1人きりで入ったんで…とりあえず言葉を覚えようと思って勉強したり、わからなくても人と話して言葉をとりあえず覚えてからはちょっと楽しくなりましたけど」

――行く前にも多少は言語の勉強はした?

叫女「勉強はしました。フランス語の勉強を70日間やって。でも町の人たちや村の人たちは一切フランス語は話せないので。向こうの現地の言葉でルドルフ語ってのがあって。それも一か月、ホームステイがあるので朝から晩まで勉強して、で町に送り出されるんで、ある程度は話せるんですけど、でもそれでも全然わからないし。町の人たちも『オマエ誰だ?』みたいな感じで石とか投げられたり」

――石とか投げられる?

叫女「投げられます、投げられます。『ちゅうごーくじーんー』とか言いながら(笑) 石投げれるんですよ。いじめみたいな(笑)

――辛いですね

叫女「人種差別を真に受けて」

――個人としては助けにきたつもりなのに。人道的な立場で来たのに、そんな?

叫女「『なにしにきたんだよー?ちゅうごくじーんー』って石投げられて(笑)」

――よく一人で耐えられましたね。何がよりどころだったんですか?

叫女「上司が、配属された教育省みたいなところがあるんですけど。そこのパートナーっていうか一緒にやっていこうっていう人がとにかく良い人で。本当にその人に救われて。男性の人なんですけど50歳くらいの。その人が『これからあなたがお世話になる家族を僕が紹介するよ』って言って紹介を受けたんです。私が選んだとかじゃなくてその人が選んでくれて『ここにお世話になりなさい。あなたは』って。勿論、家はあるんですけど、ご飯も食べさせてくれるし『あなたと近い年の女の子がいるから、その子と友だちになりなさい』って言って紹介を受けた家が本当にいい家で。そこの女の子と親友になって。言葉も教えてくれるし、町のことも全部案内してくれて。『困ったらすぐに連絡して。飛んでくから』と。ちょっとお金もあって富裕層でだから面倒をみてくれて、ごはんも食べさせてくれる家で」

――それは良かったですね。

叫女「そこの家族と上司がいなかったらしんどかったと思います。そこで『こんなことあったんだ』とか話すと親身になって相談にのってくれて。『石投げたやつ誰だ?』って、家族総出で『探しにいくぞ』っていう感じで(笑)」

――それは嬉しいですね

叫女「ただ自分が腸チフスっていう病気になってしまって。日本ではならないんですけど。自分が村に行った時に水がなくなっちゃって。腐った水を飲むしかなくて飲んだら、それで腸チフスになっちゃって。40度の熱が1週間以上続いて」

――1週間!?キツイ

叫女「大きな病院は首都まで行かないといけないんですけど、それまで滅茶苦茶強い解熱剤を注射して、5時間位熱が下がってその間に移動して、っていう時もその家族が助けてくれたりとかしたんで」

――ここで学んだことはなんですか?

叫女「行ってみないとわからないっていうのと、行ってみると絶対自分に手を差し伸べてくれる人がいて、自分が助けようと思って行ったのに逆に助けられることの方が多くて。もしかして青年海外協力隊員としては、全然功績を残せなかったのかもしれないんですけど、自分がそこで、大げさかもしれないんですけど”愛”を知れたというか人は支えられて生きているんだ。1人じゃいけないという環境に置かれたから気づけたというのが大きくて。自分もまだその時22、23だから、全然まだ未熟で世間のこともわからない状態で行ったからこそ、色んなことに挑戦できたけど失敗して、でもそういう時に支えてくれる人がいて。だからまた立ち直れてみたいな。もうこう1順を体験したみたいな場所なんで凄く大きく成長できたかな」

――若いうちに行ったから良かったかもしれないですね、得るものがあって

叫女「凄い行動的でした。やってみようと思ったら全部向こうでやってみたんですよ。勿論、失敗もあったけど、成功もあったし、出会う人もたくさんいたし、一緒に行ったメンバーが20人くらいいるんですけど、一番語学が伸びて。向こうで」

――コミュニケーション能力が元々高かったというのもある?

叫女「かもしれないですね。一番語学がダメだったんですよ。最初。テストとかあるんですけど、一番悪かったんですけど、向こうに行って実際話す能力が高かったのかわからないですけど、めっちゃ語学が一番伸びて。だから楽しかったです。話せるようになったから」

――たまに日本に帰って来てその時の言葉とか思い出したりします?

叫女「黒人を見かけて『この人アフリカっぽいな』って思うとの人がいると、まず話しかけるんですよ、現地の言葉で。通りすがりに。で、反応するんですよ絶対『おまえ、なんで俺の母国の言葉知ってんだよー』ってなって。で町で全然知らない人とと話します」

――(笑) そうですか。めっちゃ勇気ありますね、逆ナンじゃないですか?

叫女「えっそうですかね(笑) 『お前、なんで知ってんだよ』『現地行ってたんだよ』って言って。何人いるんだろ?セネガルから東京に来ている人が300人位いると聞いて。そんだけいるってことは声かけてみようって思って」

――セネガルの人ってわかるんですか?

叫女「私はわかります。多分、アフリカの人達を並べて『どれがセネガル人でしょう?』ってやったらわかるんです」

――特徴でわかるんですね?

叫女「一番格好いいんですよセネガル人!」

――現地では恋愛も?

叫女「しましたしました」

――現地の人と恋愛するのが一番語学が伸びるって言いますよね

叫女「だから伸びたのかもしれない(笑) めっちゃ好きな人できて」

――僕らからするとセネガル人のイメージってどんなものかわからないです

叫女「よく言われてたのが、イタリア人よりプレイボーイだって。すっごい日本人モテてて。日本人モテるんですよ。とにかく歩く度に町中から声をかけられて。『彼女どう?』みたいな感じなんですけど。私は町に行った時に全く声をかけられなくて」

――なんで?

叫女「いや私が聞きたい(笑) なんで?ってくらいモテなかったんです」

――オーラを消してたんですね?その時は

叫女「現地に馴染んじゃったんですかね?一緒に行った日本人はみんなモテてましたよ。彼氏作ったり。結構な割合で1/15くらいで向こうの人と結婚しています。私の知ってる中では1/15くらいで日本人の女の子が結婚してます。付き合ってた感じで言うと3人に1人は付き合ってました」

――やっぱり男前でプレイボーイだと

叫女「そう。紳士で女性ファーストでプラス全然知らない国にポーンって行った時に優しくされたら…」

――落ちる!

叫女「そうなんです。好きになってしまうんですね」

――それはしょうがないですね

叫女「自分が好きになった人は親友の紹介だったんですよ。その人仲良くしてたから。一緒に遊びにいったりとか、旅行とかも一緒にいったりして…その時に自分がつばの広い帽子をかぶってて、日差しがヤバいので、周りが全然見えなかったんですよ。車にひかれそうになったことがあって、その時に彼がパッと助けてくれたんですよ。『ウワー』ってなった後に彼がつばをキュッと上げて『危ないよ』とか日本人だったらそういう感じじゃないですか?違うんですよ、彼は。ファってあげたら『こっちの方がかわいいよ』って言って(笑)」

――(笑)

叫女「凄くないですか?日本人じゃできないですよ、それは!」

――それは落ちちゃいますね

叫女「そうそうそう(笑) 本当に。日本人の男性にはないプレイボーイさっていうか」

――イタリア人と同じような感じなんですね

叫女「そうですそうです。そういうところがあって」

――日本人だと気恥ずかしくてそんなこと言えないから

叫女「危ないから脱ぎなよー位の感じじゃないですか?そうじゃなかったっていう…」

――そういう意味では公私共々、心も成長を感じられた感じですね

叫女「青年海外協力隊行く前は、結構、対人恐怖症じゃないんですけど、ほぼそれに近い形で…」

――運動をやってる人からすると、あんまりそういうイメージないですけど

叫女「でも陸上なんで。個人競技じゃないですか?他の人とやらなくていいわけで。逆に授業にも出れなくなっちゃったりして、人に会いたくなさすぎて」

――そうなんですか

叫女「授業の時間、グラウンドが空いてるんで。そこに一人で出て。投げ込んで」

――今のジャングル叫女さんのコミュニケーションのイメージとだいぶ違いますね

叫女「それがあっての、青年海外協力隊だったんですけど。70日間の日本での研修まではずっとそんな感じで。勝手に涙がでてくるし、人に会いたくないし、連絡先全部消したり。後は笑えなかったですよ」

――それは競技で追い詰められてたっていうか、神経が研ぎ澄まされていき過ぎて?

叫女「じゃないと思います。自分は家族とも一緒にいなかったし。高校生から家出をしているので」

――家出してたんですか?

叫女「そう。家出してたんでずっといなかったから。頼る場所もなくて。友達ともうまくいかなくなっちゃって。そうなっちゃいました。笑うことができなくなっちゃって。でそこからセネガルに行って青年海外協力隊にいって変わりました。帰って来て、研修の時は他の国の子たちも一緒だったんですけど、仲良くなるじゃないですか?帰って来て会うじゃないですか『えっキョウナってそんなに笑える子だったんだ!』って」

――完全に変わったんですね

叫女「一気に変わって、それこそ元々持ってた部分が爆発したっていうか…」

――ドカーンと弾けた?

叫女「そうですね。凄い楽しかったんですよ、セネガルが」

――反動が余計にきたんでしょうね、溜め込んだマグマみたいな

叫女「自分の中ではセネガルに行くのは”挑戦”というよりは、日本という“息苦しい住みずらい処からの脱出”という感じでセネガルに行ったので。だから本当に楽しい2年間でした。そういう部分で変われたかな?」

――行って良かったですね?

叫女「めっちゃ行って良かったです、本当に」

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