【経営者インタビュー②】プロレスリングWAVE 二上(GAMI)社長・桜花由美専務が語る!GAMI社長の野望、レスラーに求めるもの、小鉄イズムの後継者として

<女大社長、女子プロレス統一の野望>

山口:プロレスリングWAVEの中長期的な未来像は、どうお考えですか?

GAMI:WAVEというよりは、私の壮大なるスペクタクルロマンなんですけど、女子プロレスを統一したいです

山口:現在の女子プロレス団体は群雄割拠ですからね。

GAMI:2月11日にWAVEで後楽園ホール大会をやったんですけど、11日と12日で土日の連休なのに、11日の昼間だけで、女子だけでも4団体が大会やってたんです。それだけ被るとお客さんが分散して、どの会場も満員にならない。当たり前なんですよ。どこかの団体が後楽園ホールでやる時は、せめて都内だけでも、同じ時間は外そうよ! って思います。夜の大会も入れると、一日都内で6-7興行やってる時がある。よく「プヲタスケジュール」とかでリサーチするんですけど、3月なんて50試合ありますよ。

山口:乱発気味になっちゃって、ひとつひとつの集客が厳しいですね。

GAMI:お客さんのことをパイと呼ぶと失礼ですけど、パイの取り合いじゃないですか。それがアカンと思ってます。後楽園ホール関連だけでも、日程の擦り合わせをしたいです。その日には同じ時間でやらないとか、記念日や周年大会、選手の引退興行の時には他団体も避けましょうよ、と。

山口:男子も含めて、各団体が同じように思っているのでは。なぜ実現しないんでしょうか?

GAMI:WAVEだと、桜花が参加しているOZアカデミーや、うちの選手がタイトルを持ってたりする(インタビュー当時)アイスリボンとは重複しないように、定期的に会って調整しています。8月12日も、決定時点で根回しをしています。

山口:集客って、魅力的な人がいるところに集まるものですよね。みんなにとっても見られる回数が多くなるので、調整をした方がいいですね。女子プロレスを好きな人は限られているので、財布の懐具合も気になります。できるだけ一枚の切符で多くの選手が見れて、感動を伝えられるようにしたいですね。

GAMI:ホンマにここ数年で悪いところが出たんで。団体がひとつ消えると、派生した団体が増えていく。これがアカン原因かなと。

山口:お山の大将になっていくんですよね。団体を離れた人が新団体でエース格になる、というのを繰り返して、どんどん体力が弱っていっています。

GAMI:平べったくなってますよね。

山口:その繰り返しが潜在的なパワーを潰しているように思います。今だったら「豆腐プロレス」の盛り上がりが女子プロレスの起爆剤になる可能性がある。大規模な大会で、女子の魅力を底上げしていってほしいです。

GAMI:やりたいです。

山口:昨年末のRIZINでは、複数団体の女子プロレスの試合も見られました。

GAMI:長与さんと神取さんが音頭を取ってましたね。

 

山口:一枚の切符でいろいろな団体が見れる、男子で言うと「ALL TOGETHER」(第一回大会・2011年8月27日)のような記念碑大会は人が集まりやすいでしょう。

GAMI:女子プロの日を作って、そこでやるとか。昔から言われていて、デビル(雅美)さんの引退試合(2008年12月30日)で、全部の試合が同じギャラで、デビルさんに関連する全団体が出たんです。それがとても面白かった。そのとき長与さんとお話しする機会があって、お客さんも全団体見れるし、全団体が見せたいものを見せられるから、こういう企画はとてもいい、という話をしました。

山口:年に3-4回は、女子プロレスに注目の集まる機会を作るのもいいですね。

GAMI:あとは音頭を取る人ですよね。

山口:GAMIさん、どうですか?

GAMI:もういっぱいいっぱいですよ。寝る間もなく朝から朝まで働くのを辞めようかと思うくらいです(笑)

山口:女子プロレス界には、先頭に立って、交渉しながらまとめていくプロデューサー的な人がいないのかも。

GAMI:各団体が必死に、数万円・数十万円を儲けて生き延びるための興業をやっている。もっとでかいことやろうと思うんですよ。

桜花:プロレスTODAYさんどうですか?(笑)

山口:いつかやろうとは思うんですが……

桜花:どこかの団体がやるとしがらみがありますから。

山口:男子だと、「ALL TOGETHER」は東スポ主催でした。週刊プロレスも「夢の懸け橋」(1995年4月2日)で東京ドームやりましたね。

GAMI:WARが週刊プロレスを取材拒否してたんですよね。WARは東京ドームの裏で後楽園ホールやってて、私はそっちに出てました(笑) 東京ドーム側はハーレー(斉藤)さんと神取さん、WAR側は私と風間(ルミ)さんが出てました。

山口:誰かが業界をよくするためにやっていく、というのは大切です。女子プロレスの魅力を再爆発させてほしいですね。一時は東京ドームでも興行がありましたから。

GAMI:出ました、私(1994年11月20日「憧夢超女大戦」)。

山口:ドームはどうでした? 全然違いました?

GAMI:お弁当が三回出た。その印象しかなかった(笑) 朝九時入りですよ? 終わり十二時(翌日0時)ですよ? 十二時に全員出られて、水道橋だからまだいいけど、「遠くの人はどうやって帰るんだ?」と。

山口:帰れない人がたくさんいましたね。

GAMI:横浜アリーナ(1993年4月2日)もそうでしたね。最終電車がなくなって、動かしてもらった。三時に始まって十二時、九時間興行!私、10試合目だったんです。それでも前半の真ん中(笑)

山口:メモリアルマッチで、多くの人を出してあげようみたいな感じだったんでしょうね。

GAMI:あれはすごかったな……。

山口:団体対抗戦時代もヒートアップしていましたけど、今と比べても殺伐感が強かったんですか?

GAMI:殺伐感の度合いが違います。殺気しかなかった。絶対に殺されると思ってた(笑) 平和主義なんで、対抗戦なんて別にええやん、誰か一番目立てばいいじゃんって。

山口:あの時代は殺気立ってましたね。

GAMI:死人が出るんじゃないかなと思うくらい、エグかった。どの団体の控室が一番大きいかだけで大騒ぎしてた(笑)。

山口:あの時代は怖かった。訴訟問題でリングに上がれないとかもありましたよね。挑戦しに行ったはいいけど、賠償金を払わなきゃいけないからリングに上がれないとか。

 

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