【新日本】創業者アントニオ猪木さんへ棚橋新社長「新日本プロレスが超満員で盛り上がっていたら、喜んでくれると思います」

新日本プロレスは26日、代表取締役社長に就任した棚橋弘至が記者会見に登場し所信表明を行った。

新日本は23日に行った臨時株主総会及び取締役会において新人事として、経営体制の変更のため棚橋弘至の代表取締役就任を発表すると大きな話題となった。

会見では冒頭にブシロードの木谷高明オーナーが前社長である大張高己氏について語り、その後に大張前社長が退任の挨拶。そして棚橋新社長が登場。

棚橋新社長が新任の挨拶を終えると質疑応答に移った。

――今回の社長の打診を受けた時期、そして決意に至った理由をお聞かせください。

棚橋「社長を打診されたのは今年の11月ですね。木谷オーナーからちょっと食事の機会がありまして、その日に依頼を受けまして、僕もね、やっぱ現役をまだ世界ヘビーのベルトも取ってませんし、まだまだね鍛え直してっていう思いはあったんですけども、同時にやってこそ逸材じゃないかと。いうことで、少し考えた後、是非やらせていただきますということでお伝えして、現在に至っております」

――続けて、木谷オーナーが藤波辰爾さんに続いて、19年半ぶりの選手兼レスラーということになりますけども、棚橋新社長を選んだ理由というのをお聞かせいただけますでしょうか?

木谷「やはり一番苦しい時期に体を張って頑張っていただいたっていうのは大きなポイントだと思いますし、また棚橋さん基本的に、表向きもそうなんですけども、もう日常でも基本ネアカなんですよ。経営者ってネアカじゃなきゃ駄目なんだところもあるんですね。
もちろん冷静な部分も必要なんですけども、何て言いますかね、もう動員増やして世界に打って出て、世界No.1の団体を目指そうという時期、やっぱり明るく広がるような、性格の方にやっていただくのがいいんじゃないかなというのが今の時期です。
その時期によってまたどういう人が向いているかわかれたりもするというふうに思っているのと、経営者っていう立場からすると、やはり経営のことをちゃんと経験を積んでわかってる人がいいのかなっていう側面ももちろんあります。
でも片方、僕が例えば1プロスファンに戻ったとしたらですね、プロレスファンからしたら、プロレス団体の経営をプロレスラーがやるっていうのはそれはそれでドリームだと思うです。ファンから見ても、もっと言っちゃうと、例えばスポーツ選手って、わかりやすい例でいくと例えば野球を例にあげますけど少年野球やってて、高校野球やってて、甲子園に出てってこの人将来どこまでいきそうかなって何となく本人も周りもわかると思うんですよ。
スポーツ何となくどの辺までいきそうかなってみんなわかると思うんですけども、芸事の世界って、わかりやすく大体わかるんです自分でも本当わかってるんですよね。ここまでできるっていう、ただ経営者って、やってみないとわかんないんですよ。
なんで棚橋新社長も今すごい不安だと思うんですよ。ただこれはね、やってみないとわかんない仕事なんで。ただ僕は向いてるなっていうふうに思ってます。それはやはり、苦労を厭わないっていうところと、明るい、頭脳明晰。資質としては十分だと思います。
あとは、やったときのストレスってまた違う種類のストレスがくるんで、とりあえずやってみてくださいっていう、ただあまりにも初めてのことだったりするんでしっかりサポートしますっていう話ですね。いずれサポートなしでも、いけるんじゃないかなというふうに思います。」

――今のお話を受けて棚橋新社長。

棚橋「非常に光栄ですね。オーナーの期待に応えられるように日々新しい知識、経験を身につけながら、頼りにされる、そんな存在になりたいですし、あと本で読んだんですけど、日本の経営者には血液型O型が非常に多いということで、僕はO型だったんで、それでしめしめと思ってます」

木谷「はい。ちなみに僕はA型です」

棚橋「大変失礼しました」

木谷「あと先ほど言ったことでくるんで言うと、経営者の資質で一番大事なのは、全部をくるんでいうと人間力ですね。人間力があると思ってますんで。11月という話がありましたけど、べつに11月にいきなり思いついたわけじゃなくて、前々からいずれということは考えておりました」

――先ほど二つ目の目標に地方大会の充実というのがありました。社長に就任されてからもトップセールス的な形で続けられるんでしょうか?

棚橋「新日本プロレスの年間の大会のは、巡業にもついていきますし、ただ東京にいるときは出社して、社長業というのもやっていきたいですし。プロモーションというのも先頭に立ってもう一度やろうと思っていますけども、やっぱり僕がやるのももちろんそうなんですけども、今所属選手はとても多いので、このオフの時期に選手が次のシリーズの大会後にも向けて大会がありますプロモーションをしてですね、やっていくことで僕1人でやってた時代よりも何倍もの効果があると思いますので、そういったところもオフの期間というのは選手にとって練習をしないといけない大事な期間ではあるんですけども、そういった事も選手にお願いしていこうかなと考えています」

――先ほど木谷オーナーが棚橋さんの社長としての資質をいくつか挙げられましたが、棚橋さんの資質は自分のことより他者のこと、団体のことを先に考えるという点がファンも気づいてる点だと思いますが、ご自身はどう思われていますか?

棚橋「レスラー生活の中でいくつかの気づきがあったんですけども、試合中に力が出る瞬間っていうのが、最終的に自分が勝ちたいとか、目指したいとか、かっこよく見られたいっていうとこのエネルギーよりも、ファンの方の応援に応えたい、見てもらって楽しんでもらいたいっていう誰かのために、何かを頑張るときの方が人間力が出るっていうことが、そういう考えがありまして。だからこれから社長業も、ファンの皆さんのためにね、新日本の社員のためにっていう、そういう思いでやっていきます」

――棚橋さんがデビューされたときは藤波さんが社長だったと思いますが、選手兼社長の苦労というのは、棚橋さんもご覧になられてたと思います。レスラーと社長業の両立という点において、例えばシリーズでフル参戦となるとかなりの負担になるのかなと思うんですけども、その辺りの兼ね合いというのはどのように現段階でお考えですか。

棚橋「まだこればっかりはレスラー生活と、事務所仕事っていうのは続けてみないとわかんないんですけども、周りにサポートしてくれる心強いメンバーもいますし、僕は何より疲れないので、大丈夫だと思います」

――社長として新日本プロレスというのを見るように意識して見るようになったのがおそらくこの1ヶ月ぐらいだと思うんですけれども、現段階で新日本プロレスの団体としての課題といいますか、こういった部分を改善した方がいいんじゃないかっていう気づきみたいなのが、現段階でおありでしたらお伺いします。

棚橋「これはなかなか難しいことなんですけども、ファンの皆さんがどういった新日本プロレスを観たいか。僕はやはり試合終わった後に楽しかったねと、面白かったねと。そしてその後、飯食いながら酒飲みながら余韻に浸れるようなプロレスっていうものがね、やっぱり自分でも観戦行っていってそういういい思い出がたくさん残ってますし、そうしたプロレス観戦してそれをエネルギーに変えて日曜に持って帰ってもらえるような、うん。観に行ってよかったなと思ってもらえるようなものにしていきたいなと考えています」

――今回の社長就任を選手にお伝えしたときの各選手の反応であったり、あと何かかけられた言葉あたりって何かございましたか。

棚橋「選手に伝えたのが最終戦ですね。22日の後楽園ホールの試合終了後に伝えたんですけど、まだみんなもビックリして、そんなにリアクションというのはなかったですね。これからいろんな反応が出てくるんじゃないかなと思うんですけど。まあ、僕の感覚ですけど、好意的に迎えられたんじゃないかと思います。まだかけられてないですね。でも、やっぱり自分よりキャリアの上のレスラーにはがんばってということを言われました」

--新日本プロレス創業者そして創業社長であるアントニオ猪木さんに対してお伝えしたいメッセージみたいなものは、社長として何かありますでしょうか?

棚橋「猪木さんが亡くなられて、その映画も出させていただいてというタイミングもあってのこの社長という重責を担っていくわけなんですけども。そうですね、やはりこう猪木さんが思い描いたプロレスというもの、プロレス会場というものは、ボクとしてはこうなんだろうなっていうね、イメージすることしかできませんけど、新日本プロレスが超満員で盛り上がっていたら、天国から見てくれてるであろう猪木さんも、『オウ、やるじゃねーか』って喜んでくれると思います」

――2000年代、苦しい時代に営業のかたと一緒に地道なプロモーションを重ねて行った経験、あるいはこのコロナ禍で観客が入れられなくて、声出しもできなくて、苦しい中で身体を張った経験。こういった悔しい経験、挫折っていうのは、今後経営者としてどのように活きていく、あるいは活かしていきたいとお考えでしょうか?

棚橋「そうですね。つねに少し先の未来を見る能力というか、力というか。僕もプロモーションをやりながら経験したことがあって。やはりプロモーションをやっても、その効果っていうのは少し遅れてくるんですね、ディレイするというか。これをボクは3年後理論と呼んでるんですけど。本当にプロモーションを本格的にやり始めたのが2006年、初めてIWGPのチャンピオンになって。
プロモーションを始めてコツコツ06年、07年、08年、09年と続けていって。06年のプロモーションが09年、09年のプロモーションが12年にという少し遅れてくるんですけど。なので、すぐ手応えは感じられないかもしれないけど、プロレスの熱っていうのはジワリジワリ伝わっていくんだっていう経験が自分の中でありますので。その辺もね、選手のほうに伝えていければなと考えています」

――新日本プロレス、この10年でエンタメとして急成長されましたけど、一方でいま音楽ライブであったり、ほかのスポーツであったり、あとは配信サービスとか、エンターテインメント業界全体を見渡したライバルっていうのが相当多くなった状況だと認識しています。この中で新日本プロレスが勝ち抜いて、さらに事業成長していくために、どのように強みを活かしたり、経営戦略、成長戦略を描いていますか?

棚橋「そうですね。これもやっぱりファンの頃の経験なんですけども、応援している選手が勝つと嬉しい。俺も頑張ろう、ボクも頑張ろうという想いになる。これはまだ当時、推しという言葉が、文化がなかったんですけど、プロレスというのは対抗の図式があって、応援している選手がいて。推してる選手が頑張ってる、勝ってる、タイトル獲ったってなると、応援してくれたファンの人もエネルギーがもらえて、力になるというところがありますので。
そういう推しの文化というのはほかのジャンルにもありますけど、そういった応援の熱量を力に変えられるっていうのが、オンタイムで。しかもリングサイドの応援がそのまま同時に、リング上でのプロレスラーのエネルギーになるっていうのは、プロレスならではのところではないかなと思いますので。その会場の熱量を、ライブ、現地で観戦する部分でも、映像配信でも広く伝えていって。大きい目標としてね、日本を元気にっていうところができたらなと考えています」

--棚橋さんの考える社長レスラーならではの強みってどういうところだと思いますか。

棚橋「やはり営業活動が強みになるかなと思います。引退後もできないことはないんですけども、やはり現役であるというところのメリット。まあ、地上波の番組に出たりとか、雑誌、ウェブ、いろんなところに取材していただいたりとか。自分自身が日本全国走り回って、営業できる、プロモーションかけられるっていうのが、一番の強みかなと思います」

--もう一つ、ファンの方が多分一番気になってるとこだと思うんですが、棚橋さんが社長に就任することによって、リング上の光景ってのは変わるのか変わらないのかそれどういうふうに考えてますでしょうか?

棚橋「現役生活についても、考えてるところはあります。ありますけども、まだ世界ヘビーを巻いてないので、それが一つのボクのモチベーションになってますね。う~ん、ボクはプロレスっていうジャンルを、社長を殴れる唯一の競技だと思ってますんで。集中的に狙われるかもしれないですけど、『何この、社長だぞ!』と言わずにね、プロレスという競技で勝負したいと思います」

――先ほど東京ドーム満員という目標を掲げられていました。棚橋選手が始めてIWGPヘビーを巻いたときからの悲願だったと思います。先ほど調べましたら、再来年から再び(1.4東京ドーム大会が)土日開催というチャンスが巡ってきていまして。最近はお正月休みが3日までというところが多く、なかなか4日に来られないというかたが多かったと思います。それが再来年から土日がひさびさにやってきますが、そこについてはいかがでしょうか?

棚橋「そうですね、あの、持ってますね。あのプロレスファンは4が日っていうフレーズを数年前に連呼してですね、4日まで休んでプロレス観ようよっていうプロモーションをかけたことがあったんですけども。まあ、3が日で土日となると、これは来ましたね。そういうタイミングも本当にありがたく思いますし、東京ドーム満員というね、景色をもう一回、僕自身もファンのみなさんに見てもらいたいと思いますので、ぜひお力添えを願えればと思います。ありがとうございます」


※木谷高明オーナー、棚橋弘至新社長、松本仁司取締役社長室長

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▼新任取締役 (2023 年 12 月 23 日付) *は非常勤
代表取締役社長 棚橋弘至
取締役 松本仁司(株式会社テレビ朝日 ビジネスプロデュース局担当局長)
取締役 岡田太郎(株式会社ブシロードファイト 代表取締役社長)*
※なお、取締役大張高己氏、取締役西澤道昭氏は 12月23日をもって退任。

▼新任代表取締役社長の略歴
<氏名> 棚橋 弘至(たなはし ひろし)
<略歴>1976 年 11 月 13 日、岐阜県大垣市生まれ。1999 年、立命館大学法学部を卒業後、新日本プロレスに入門し、同年 10 月にデビュー。2006 年、IWGP ヘビー級王座を初戴冠。2009 年、2011 年、2014 年、2018 年にはプロレス大賞 MVP を獲得するなど「新日本プロレスのエース」として団体を牽引。2019 年には IWGP ヘビー級王座最多戴冠記録を樹立。
 

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